渡辺伝
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時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 承保2年(1075年) |
死没 | 長承3年(1134年) |
別名 | 源伝、渡辺惣官、滝口大夫 |
主君 | 源明国(行光) |
氏族 | 嵯峨源氏融流(渡辺氏) |
父母 | 渡辺安 |
兄弟 | 伝、至、勝、引 |
子 | 満、重(瓜生氏の祖)、房、教、親(赤田氏の祖)、調 |
渡辺 伝(わたなべ の つとう)は、平安時代後期の武将。嵯峨源氏の源融の子孫で、正式な名のりは源伝(みなもと の つとう)。渡辺綱の曾孫にあたる。
略歴
[編集]滝口大夫・渡辺安(筒井久の三男)の子として、摂津国西成郡渡辺津に生まれる。
京で元服を迎えて、摂津源氏(多田源氏)の源明国に仕えた。主君の明国の命で、白河天皇・堀河天皇父子の周辺を護衛する滝口武者を長年も務めた。特に白河法皇(白河天皇)の信頼は篤く、彼は皇室領である大江御厨惣官に任命された(渡辺惣官職)。
同時に敬虔な浄土教の信徒であり、30数年も毎度千遍ほどの念仏を唱えており、臨終間際にも西方に向かって大往生したという。享年60。
嫡子の満が後を継いで、彼の系統は、朝廷との繋がりを密接に図り、衛門府、兵衛府など中央の官職を有していた。
満の弟の重らの系統は従来通り、摂津源氏と主従関係を結び、源頼政を介錯した唱や宇治川の戦いで戦没した省(連)と競などを輩出した。
子孫
[編集]伝の後裔は、越後国の住人となり、赤田氏と瓜生氏の祖となった。