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渡辺唱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
渡辺唱
時代 平安時代末期
生誕 不明
死没 治承4年(1180年)?
別名 長七(通称)
主君 源頼政
氏族 嵯峨源氏渡辺氏
父母 渡辺教?(『渡邊系図』)
兄弟 ?、省(連)?、?、?、の父)?
不詳
特記
事項
渡辺昇渡辺満の子?)の子で、の弟とする説あり(『前賢故実[1])。
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渡辺 唱(わたなべ の となう)は、平安時代末期の武将源頼政郎党

人物

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1180年治承4年)、以仁王と主君・源頼政が挙兵すると以仁王の挙兵において頼政に従い出陣した。

敵方の平知盛の圧倒的な軍勢によって、頼政方は戦死者が増えて、護衛する人数は次第に減り、頼政はもはやこれまでと念仏を唱え、渡辺唱が介錯を行った(介錯後に頼政に殉じたとも)。

参考文献

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  • 『保元物語注解』(1980年、続群書類従完成会)

脚注

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外部リンク

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