清藤盛美
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清藤 盛美(せいとう もりよし、1847年 - 1914年)は清藤家[1][2]24代当主。 盛美園造園者[3][4][5]。
尾上銀行頭取、尾上銀行(第五十九銀行)専務取締役を歴任した[6]。
経歴
[編集]1847年に鎌倉時代から続く旧家の清藤家に生まれる。初代は鎌倉幕府御家人の清藤次郎盛秀。父親は清藤莊兵衞。その後家督を相続し、株式會社尾上銀行專務取締役になる。さらに大石武学流の小幡亭樹を招き九年の年月を掛け盛美園を造園した[7][8]。その際には東京、京都、四国の庭園を周り、伝統的な庭園を研究した[9]。
1914年没。
親族
[編集]- 妻: たき (嘉永2年生まれ、青森、清藤傳吉二女)
- 長男: 清藤辨吉(尾上銀行頭取、盛美館造館者)
- 婦:ちよ (明治7年生まれ、青森、猪俣幸太孫)
- 孫:清藤盛治 (清藤家26代当主、弘南鉄道評議員、清藤家霊廟造営)
- 孫盛治妻: リヱ (明治36年生まれ、津軽銀行取締役 佐藤源蔵 (貴族院議員)二女)
- 孫:まゆ (青森銀行頭取高谷英城の妻)
- 孫:まつ (明治25年生まれ、弘南鉄道監査役福士亦一長男文爾の妻、盛融貯金株式会社取締役、県議会議員竹内寅次郎の妻、寅次郎の元妻みさほは衆議院議員工藤善太郎娘)
- 孫:ちさ (明治36年生まれ、県多額納税者、村會議員 鈴木久雄妻)[10]
- 曾孫:高谷進三 (大正6年生まれ、岳父に青森銀行取締役 小館保治郞、義兄に青和銀行頭取 小館貞一、義兄の妻は貴族院議員 津島源右衛門娘)
- 曾孫:高谷正二 ( 大正2年生まれ、岳父に第四十八国立銀行取締役平川孫兵衛 妻の叔父の兄弟に秋田銀行頭取貴族院議員 辻兵吉 (3代目))
- 遠縁: 高谷貞助(青森縣多額納税者、高谷吉太郎長男)
- 岩川友太郎(動物学者、女子師範学校名誉教授)
脚注
[編集]- ^ http://takakurashinbun.web.fc2.com/minikomi/takakura62.pdf
- ^ “【モリタ】津軽の人情もりんごの甘さも、岩木山も“春湖庭”もすべてが心の糧、私のユートピア|デンタルマガジン|歯科情報ポータルサイト デンタルプラザ”. 歯科情報ポータルサイト デンタルプラザ. 2022年11月13日閲覧。
- ^ “~地方のまちづくり~ 「擬洋風建築」は芸術品”. 芸術教養学科WEB卒業研究展 | 京都芸術大学通信教育課程. 2022年11月13日閲覧。
- ^ 青森県中南地域県民局地域連携部. “古津軽”. 古津軽. 2022年11月13日閲覧。
- ^ 地方に残る庭園文化 −「出雲(出雲流)」と「津軽(武学流)」-
- ^ 青森県観光情報サイト
- ^ “盛美園の歴史|国指定名勝「盛美園」”. www.seibien.jp. 2022年11月13日閲覧。
- ^ テクニカルホーム
- ^ 猿賀公園 - 青森県の歴史街道と史跡巡り
- ^ 「鈴木久雄」、『昭和15年 大衆人事録 関東・奥羽・北海道』11頁。NDLJP:1173368/238
参考文献
[編集]- 人事興信録第4版 大正4(1915)年1月
- 人事興信録 第24版
- 銀行会社要録 附・役員録・18版
- 青森県議会史 昭和16-昭和20
- 人事興信録 第13版
- 弘南鉄道三十年誌