清水かつら
清水 かつら(しみず かつら、1898年(明治31年)7月1日 - 1951年(昭和26年)7月4日)は男性詩人。本名は、清水 桂。特に童謡詩人として知られる。
生涯
[編集]本名は清水桂。東京深川生まれ。4歳で生母と父は離縁し、12歳で継母を迎え、本郷区本郷元町に住み、父と継母に育てられた。
京華商業学校(現在の京華商業高等学校)予科修了後、青年会館英語学校に進学し、1916年(大正5年)合資会社中西屋書店(書籍・文具店、東京市神田区表神田2番、後に丸善が吸収)出版部へ入社した。 中西屋書店は少年・少女向けの雑誌を刊行するため「小学新報社」を創設し、かつらは、少女雑誌「少女号」(1916年〈大正5年〉創刊)や「幼女号」「小学画報」を編集した。編集者には、鹿島鳴秋(「浜千鳥」「金魚のひるね」作詞者)や山手樹一郎がいた。
編集の傍ら童謡の作詞を始め、関東大震災で継母の実家に近い埼玉県白子村・新倉村(現・和光市)に移り、ここで生涯を送った。
1927年(昭和2年)小学新報社を退社。
1933年(昭和8年)-1943年(昭和18年)の間、花岡学院の講師となる。
1951年(昭和26年)7月4日に、「酒が飲めなくなったら終りだ」とつぶやいて、享年53で永眠。同年7月11日に、文京区本駒込の吉祥寺で音楽葬が行われ、弘田龍太郎や中山晋平の弔辞の後、ビクター児童合唱団と音羽ゆりかご会が「靴が鳴る」を斉唱、最後に四家文子が「叱られて」を歌った。
主な作品
[編集]戦前
[編集]- 靴が鳴る(1919年(大正8年)9月11日作曲、「少女号」同年11月号に発表、弘田龍太郎作曲)
- 叱られて(「少女号」1920年(大正9年)4月号に発表、弘田龍太郎作曲)
- あした(「少女号」1920年(大正9年)6月号に発表、弘田龍太郎作曲)
- 雀の学校(1921年(大正10年)12月7日作曲、「少女号」1922年(大正11年)2月号に発表、弘田龍太郎作曲)
戦後
[編集]作品集
[編集]- 『清水かつら童謡集』 上笙一郎、別府明雄 編、海沼実 (ネット武蔵野、2008年3月) ISBN 4944237464
- 存命中も含めて、かつら唯一の作品集。
歌碑など
[編集]東武東上線和光市駅前に、「みどりのそよ風」、「靴が鳴る」、「叱られて」の歌詞が刻まれた歌碑がある。
東武東上線成増駅の南口に「うたの時計塔」(主な作品に掲げている5作品に、「浜千鳥」を加えた楽曲が流れる。1976年(昭和51年)8月8日設置。)、北口に「みどりのそよ風」碑、アクトホール外壁に「雀の学校」の楽譜と歌詞を刻んだプレートがある。
白子宿と新田宿の境の白子橋に「靴が鳴る」の歌碑がある。清水かつらはこの橋のすぐ脇に生家があった。
清水かつらが詩の指導を行った和光市立白子小学校には、「みどりのそよ風」の歌碑がある。[1]