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浜田三郎 (実業家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

浜田 三郎(はまだ さぶろう、1889年明治22年)11月22日[1] - 没年不明)は、日本実業家、静岡県多額納税[2][3][4]。相模屋社長[5]。熱海伊豆山温泉組合長[1]

経歴

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静岡県・浜田文作の息子[2][注 1]1913年家督を相続した[2]温泉旅館業を営んだ[2]。千人風呂相模屋旅館を経営し、静岡県多額納税者に列した[2]。永く区長の要職にあった[3]

熱海小学校学務委員であった[3]。伊豆銀行、箱根ホテル各監査役[1]、伊豆銀行熱海支店相談役を兼任した[3]

人物

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相模屋旅館について、三郎によると「先代文作が苦心経営の結果、顧客の信用を高め高評を博するようになり、千人風呂に久邇宮殿下の御行啓の幸栄を賜り、また松方侯爵、浅野侯爵、松浦伯爵、寺島伯爵、渡辺子爵、三浦子爵、後藤男爵等の諸華族方を始め、文士には、大町桂月有島武郎、実業家には、福島浪蔵、山科礼蔵、織田昇次郎、久原房之助村井吉兵衛の諸氏も来遊されてこの風呂で深い感興をそそられたこともあった」という[6]

宗教は真言宗[1]。趣味は義太夫[1]。住所は静岡県田方郡熱海町伊豆山[1](現・熱海市伊豆山)[2][5]

家族・親族

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浜田家
  • 父・文作(温泉旅館業、相模屋)[7]
  • 弟・四郎1897年 - ?) - 家業の旅館業に従事し、傍ら熱海町学務委員、静岡県方面委員である[1]
  • 妻(1896年 - ?、神奈川、森安治郎の娘)[注 2]
  • 養子・禎介1905年 - ?、長女うめの夫、新潟、須山斌二郎の三男)[5] - 相模屋を継承[9]
    • 同妻・うめ1913年 - ?、相模屋取締役)[5]
  • 長女[1]
  • 二女[1]
  • 三女[1]
  • 四女[1]
  • [2]
親戚

脚注

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注釈

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  1. ^ 『日本人事名鑑 昭和9年版 下卷』には「浜田文作の三男[1]」とあるが『人事興信録 第13版 上』には「浜田文作の長男[2]」とある。
  2. ^ 妻は『人事興信録 第13版 上』には「森安治郎の二女[2]」とあるが、『日本人事名鑑 昭和9年版 下卷』や『新日本史 別篇(現代人物篇)』には「森安治郎の長女[1][8]」とある。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『日本人事名鑑 昭和9年版 下卷』ハ46頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月31日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第13版 下』ハ75頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月28日閲覧。
  3. ^ a b c d 『静岡県職業名鑑 御成婚紀念』700頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月28日閲覧。
  4. ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』全国多額納税者 静岡県36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年8月4日閲覧。
  5. ^ a b c d 『人事興信録 第18版 下』は47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月28日閲覧。
  6. ^ 『熱海と五十名家』38頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月28日閲覧。
  7. ^ 『帝国商工名鑑』熱海町16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月31日閲覧。
  8. ^ a b 『新日本史 別篇(現代人物篇)』1063頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月29日閲覧。
  9. ^ 『産経日本紳士年鑑 第8版 下』は49頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月28日閲覧。

参考文献

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  • 豊成社編『帝国商工名鑑』豊成社、1913年。
  • 斎藤和堂編著『熱海と五十名家』精和堂、1920年。
  • 久保田甚作『静岡県職業名鑑 御成婚紀念』久保田政春、1926年。
  • 万朝報社編『新日本史 別篇(現代人物篇)』万朝報社、1927年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
  • 聯合通信社編『日本人事名鑑 昭和9年版 下卷』聯合通信社、1933年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第18版 下』人事興信所、1955年。
  • 『産経日本紳士年鑑 第8版 下』産経新聞年鑑局、1969年。