浜劇
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浜劇 Hamageki | |
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情報 | |
正式名称 | 浜劇 |
開館 | 1958年 |
閉館 | 1962年 |
用途 | 映画館 |
所在地 | 愛知県碧南市山神町 |
位置 | 北緯34度54分03.5秒 東経136度59分10.9秒 / 北緯34.900972度 東経136.986361度座標: 北緯34度54分03.5秒 東経136度59分10.9秒 / 北緯34.900972度 東経136.986361度 |
最寄駅 | 名鉄三河線新川町駅 |
浜劇(はまげき)は、愛知県碧南市山神町の衣浦温泉街にあった映画館。1958年(昭和33年)に開館し、1962年(昭和37年)に閉館した。
歴史
[編集]前史
[編集]太平洋戦争中の1944年(昭和19年)には、碧海郡明治村東端地区の明治航空基地の将校をもてなすために、約5km西の碧海郡新川町に特殊飲食店街が設置された[1]。当時は知多湾(衣浦湾)岸の埋立が進んでおらず、この地域は沖見園海水浴場に面していた[1]。終戦後にはパチンコや麻雀などの娯楽施設も立地し、この地域は花柳街(歓楽街)として発展した[1]。1956年(昭和31年)に売春防止法が制定される前、1954年(昭和29年)には温泉街(衣浦温泉)への転換を図り、同年に開業した料理旅館吉文を皮切りに、最盛期の1957年(昭和32年)には10軒もの旅館が営業していた[1]。
開館
[編集]1958年(昭和33年)には愛知県道50号名古屋碧南線から西側に入った場所に映画館の浜劇が開館。浜劇は平屋建であり、270席の座席を有していた[1]。日本の映画館数がピークを迎えたのは1960年(昭和35年)であり、この年の碧南市には浜劇、新盛座、新川キネマ、寿々喜座、三栄座の5館が存在した[2]。
閉館
[編集]日本の映画館客数は1958年を境に減少に転じており、開館から5年後の1962年(昭和37年)には閉館した[1]。1961年(昭和36年)には新盛座が、1963年(昭和38年)には寿々喜座が閉館しており、最盛期の旧新川町域に3館あった映画館は1960年代半ばには姿を消している。ただし、『全国映画館録』の各年版には1970年代初頭まで浜劇の名前が掲載されている。
かつて碧南市にあった映画館
[編集]画像 | 館名 | 所在地 | 営業年 |
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新盛座 | 旧碧海郡新川町 | 1887年-1961年 | |
寿々喜座 | 旧碧海郡大浜町 | 1879年-1963年 | |
浜劇 | 旧碧海郡新川町 | 1958年-1962年 | |
三栄座 | 旧碧海郡棚尾町 | 1897年-1978年 | |
新川キネマ | 旧碧海郡新川町 | 1929年-1978年 |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 加藤良平(編著)、鈴木宗雄ほか(監修)『碧南の劇場 キネマ行進曲』自費出版, 1988年
外部リンク
[編集]- 衣浦温泉街 トボトボ歩く 碧南市
- 碧南市・高浜市の映画館 消えた映画館の記憶