波自加弥神社
波自加彌神社 | |
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所在地 | 石川県金沢市二日市町カ186番地 |
位置 | 北緯36度38分3.35秒 東経136度42分53.67秒 / 北緯36.6342639度 東経136.7149083度座標: 北緯36度38分3.35秒 東経136度42分53.67秒 / 北緯36.6342639度 東経136.7149083度 |
主祭神 | 波自加弥神・正八幡神 |
社格等 | 旧郷社、式内社 (小) |
創建 | 養老2年(718年) |
例祭 | 4月11日 |
波自加弥神社(はじかみじんじゃ、正式には「波自加彌神社」)は、石川県金沢市二日市町カ186番地にある神社。
概要
[編集]金沢市北部に位置する。表参道の入り口の鳥居付近には用水が流れ、用水の建設者を讃える碑が存在する。境内は全体に鬱蒼とした林に覆われている。山の斜面が参道になっており、社殿は小高い場所にある。
ただし、現地に設置されている石碑によると、祭神は、波自加弥神、天照大神、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、比咩大神、少彦名神、武甕槌神、経津主神、天児屋根神、八坂刀売神、建御名方神。
境内には正一位八幡山稲荷社が存在。
また摂社として、諶兵堂(じんべえどう)もある。諶兵堂は、武内宿禰を祀る。
宮司は田近章嗣。また本人のブログによると社名の由来は、「歯で噛(か)んで辛(から)いものすなわち、ショウガ・ワサビ・サンショウなどの古語で、『薑・椒(はじかみ)』が語源」とのこと[1]。
歴史
[編集]延喜式では、国幣小社とされる。
寿永2年(1183年)の源平北国合戦のおり、兵火のため社殿すべてが焼失し、現在地の田鹿八幡宮(たじかはちまんぐう)に遷座され復合の神社となったが、のち、正四位上の神階(しんかい)をもつ波自加彌神が八幡神より上位と考えて、社名が今のものに変更された。 本来は現在地の2キロ後方山手にある四坊高坂町の黄金清水(こがねしょうず)に鎮座していた。
黄金清水
[編集]旧社地である四坊高坂町にある湧水黄金清水は、奈良時代、この地方が大干ばつに見舞われた時、国造(くにのみやつこ)が雨乞いのために当社に籠(こも)った。すると、37日目の満願日に霊水が湧き出して人民は救われた。人々は神に感謝し、供え物をしようと思いましたが、長く続いた旱魃(かんばつ)のため供える物がなかなか見つからず、たまたま干天下(かんてんか)にも自生していた生姜を捧げた。これが毎年6月15日に行われる、全国に類例のない「しょうが祭り」の起こりである、遠く江戸時代には、加賀・越中・能登の料理店主はすべてお参りしたといい。また、生姜の薬効から医薬の神としての信仰も篤く、薬師(くすし)も多く参詣したと伝えられ、現在もその趣旨は多くの人に受け継がれている。[2]
交通アクセス
[編集]- 北鉄金沢バス 森本駅前より87番八幡経由本津幡ゆき乗車、八幡バス停下車徒歩3分
- 遥拝殿へは、森本駅前より87番二日市経由本津幡ゆき乗車、二日市下車(フリー乗降区間につき、正門前でも乗降可。但し本数少)
脚注
[編集]- ^ “『はじめまして! 波自加彌神社の宮司でございみす』”. はじかみ神主のぶろぐ (2009年6月27日). 2020年11月25日閲覧。
- ^ 生姜の研究・商品開発に力を入れる永谷園によって、当神社の6月15日の大祭にあわせ日本記念日協会に「生姜の日」を登録・制定された。
参考文献
[編集]- 『石川県神社誌』石川県神社庁編集(石川県神社庁発行、昭和51年)
- 波自加弥社境内に設置されている1枚の石碑と、1枚の立て札の文章を参考にした。著者は、田近章嗣/記載なし(記載された年月日は、昭和60年1月/記載なし)