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波之上丸 (3代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
波之上丸(3代)
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本の旗 日本
所有者 大島運輸(1980-1994)
スーパーフェリー英語版
運用者 大島運輸(1980-1994)
スーパーフェリー英語版
建造所 福岡造船
IMO番号 7920871
改名 波之上丸(1980-1994)
WILINES MABUHAY 2
SuperFerry 7
経歴
起工 1979年
進水 1979年
竣工 1980年
就航 1980年5月
運航終了 1994年6月
最後 1997年、火災で焼損後、解体
要目
総トン数 4,996トン
全長 140.5 m
20.5 m
深さ 11.9 m
機関方式 ディーゼル
主機関 2基
推進器 2軸
出力 15,600馬力
航海速力 20.5ノット
旅客定員 812名
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波之上丸(なみのうえまる)は、大島運輸が運航していたフェリー。本項目では、1980年に就航した3代目を取り扱う。

概要

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福岡造船で建造され、1980年5月に東京航路に就航した。

1986年ありあけ(初代)の就航により、鹿児島航路に転配された。

1994年6月、フェリーなみのうえの就航により、引退した。

その後、海外売船され、フィリピンに売却され、WILINES MABUHAY 2となった後、スーパーフェリー英語版SuperFerry 7となったが、1997年に入渠中の火災で焼損、後に解体された。

設計

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両舷船尾にランプウェイを装備しており、トラック、乗用車などをロールオン・ロールオフ方式で車両甲板に搭載するほか、船首甲板がコンテナスペースとなっており、コンテナをデリックによるリフトオン・リフトオフ方式で搭載する。

翌年に就航したあかつきとは船体規模が同一であるが、同型船ではない。

船内

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事故・インシデント

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漁船との衝突

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1989年10月27日、3時43分、名瀬港から鹿児島港へ向かっていた本船は、屋久島海峡を航行中、屋久島灯台の南西約11海里の地点で漁船第八みつ丸と衝突した。衝突の直前に本船はみつ丸を視認したが、ほぼ全速力のまま、本船の右舷船首部に、第八みつ丸の船首左舷側が後方から約80度の角度で衝突、みつ丸は左舷船首部および船橋を破損、前部マスト倒壊、後部マスト曲損などの損傷を生じ、船長が軽傷を負った。事故発生当時、天候は晴れで、風力4の東北東の風が吹いていた。事故原因は、第八みつ丸が無灯火で居眠り運航を行い、本船を避けなかったことで発生したが、本船が、レーダーの適切な監視などの見張りが不十分で、衝突回避措置が遅れたことも一因とされた[1]

脚注

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  1. ^ 門司地方海難審判庁 (17 December 1991). 平成3年門審第36号 旅客船波之上丸漁船第八みつ丸衝突事件 (PDF) (Report). 海難審判・船舶事故調査協会. 2016年4月1日閲覧