法福寺 (長岡市)
法福寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 新潟県長岡市寺泊二ノ関2720 |
位置 | 北緯37度38分36.47秒 東経138度46分10.44秒 / 北緯37.6434639度 東経138.7695667度 |
山号 | 寺泊山 |
宗派 | 日蓮宗 |
本尊 | 久遠実成の本師 釈迦牟尼佛 |
創建年 | 天平宝字元年(757年)頃 |
開山 | 日蓮 |
開基 | 泰澄 |
公式サイト | http://www.houfukuji.com/ |
法人番号 | 6110005012387 |
法福寺(ほうふくじ)は、新潟県長岡市寺泊(旧寺泊町)にある日蓮宗の寺院である。山号は寺泊山。旧本山は、京都妙覚寺。奠師法縁。
歴史
[編集]寺伝によれば天平宝字元年(757年)頃、越前国の泰澄が現境内南方の山頂に開創したのを起源とする。当初は法華堂と号していたが、いつのころか法華寺と号すようになった。
弘仁3年(812年)、最澄が寺泊を訪れ、天台宗に改宗される。
文永8年10月21日(1271年11月24日)、 佐渡へ配流される日蓮が途中の寺泊に到着する[1]。このとき、日本海特有である冬の海風が強く、佐渡へ渡ることが出来なかったため(結果的に7日間)寺泊に逗留した。この間、時の法華寺住職が日蓮に会い心服し、自ら請いて弟子となり日傳と改名。日蓮を開山と仰ぎ、法福寺の寺号を頂いた(後日、佐渡へ渡った日蓮へ会いに行ったとき頂いたとする説もある)。なお、逗留中、日蓮は『寺泊御書』を述作するが、これに用いた水を汲んだ井戸が今でもかれずに残っており、硯水の井戸 と名付けられ大切にされている。
文亀元年4月6日(1501年4月23日)、火災。山頂より現在の活動拠点である中腹へと堂宇を移転する。
宝永3年(1706年)、日蓮が逗留された土地が石川家より寄進さる。
寛保2年(1742年)、このころの村鑑に「祖師堂。長三間半、横三間半、法福寺境内に御座候」とある。
寛延4年4月27日(1751年5月22日)、祖師堂類焼する。
寛政8年6月4日(1796年4月23日)、山崩れにより本堂損壊する。
文化元年(1804年)、このころ成立したと思われる風土記に、客殿、庫裡、番神堂、石鳥居、稲荷社、鐘楼、法華堂跡、(現在は松食い虫の被害にあって切り倒された)松、薬医門などが法福寺にあった、と書かれている。
文政7年12月(1825年1 - 2月)、良寛の妹むら子(むら?)死去。法福寺墓地へ埋葬される。
慶応4年5月(1868年6 - 7月)、水戸脱藩兵信夫善治(本名:水戸藩家老職、佐藤図書)死去。法福寺墓地へ埋葬される。
明治5年11月11日(1872年12月11日)、類焼。堂宇が灰燼に帰す。
境内
[編集]- 本堂
- 梵鐘
- 宝物殿
- 観音像
以下は本堂西南方に位置する飛地境内に所在。
- 祖師堂
- 日蓮聖人獅子吼の銅像
- 硯水の井戸
主な行事
[編集]- 1月3日 新年祝祷会、檀信徒総会、檀信徒新年懇親会
- 1月25 - 31日 寒行
- 3月彼岸中日 春季彼岸会
- 5月 - 6月頃 団参,檀信徒懇親旅行(交互隔年)
- 6月第1土曜日 写経会
- 6月第4日曜日 開山会
- 8月1日 盂蘭盆会
- 9月彼岸中日 秋季彼岸会
- 10月中旬の友引 覚信精舎
- 11月第2日曜日 お会式
- 11月27日 お会式(祖師堂)
- 12月13日 唱題会(祖師堂)
- 12月31日 除夜の鐘
- 毎月第3金曜日 お経会
- 不定期 万灯講(仮称)練習
旧末寺
[編集]日蓮宗は昭和16年に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。
- 善行山明聖寺(長岡市寺泊上田町)
アクセス
[編集]所在地
[編集]- 新潟県長岡市寺泊二ノ関2720
出典
[編集]参考文献
[編集]- 青柳清作『寺泊郷土史』歴史図書社、1979年。
- 青柳清作『寺泊の歴史』歴史図書社、1979年。
- 市川智康『日蓮聖人の歩まれた道』水書房、1981年。ISBN 4-943843-47-6 C0015。
- 今泉省三・真水淳『越佐叢書第17巻』野島出版、1980年。
- 日蓮著、紀野一義翻訳『立正安国論ほか』中央公論新社、2001年。ISBN 4-12-160015-0 C1215。
- 日潮 編『本化別頭仏祖統記』 5巻、平楽寺村上勘兵衛、1730年。 NCID BB14282444 。2024年2月3日閲覧。
- 宮崎英修 編『日蓮辞典』東京堂出版、1978年7月10日。ISBN 978-4490101096。 NCID BN00793610。OCLC 5182140。
- 山崎龍教『寺泊町史あれこれ』北洋印刷株式会社、1996年。