河越賢在
表示
時代 | 江戸時代 |
---|---|
生誕 | 慶長19年(1614年) |
死没 | 不明 |
別名 | 中原朝臣賢在 |
官位 | 従五位下・兵庫頭 |
主君 | 後水尾天皇 |
氏族 |
中原朝臣流平田家庶流河越氏 広澄流清原朝臣 王氏 源氏 |
父母 |
父:河越重忠(兼任王)、母:平田職広女 養父:舟橋秀賢・河越教重 |
兄弟 | 真継久忠(河越兼久)、河越兼字、賢在 |
子 | 養子:兼久、兼字 |
河越 賢在(かわごえ かたあき、1614年 - 没年不明)は江戸時代の地下官人・有職家。
伊勢使王・河越重忠(兼任王)の子で明経博士・舟橋秀賢と兵庫頭・河越教重の養嗣子。官位は従五位下・兵庫頭。史料によっては中原朝臣賢在とも記される。
概要
[編集]実父は伊勢使王を務めた河越重忠(兼任王)。舟橋秀賢の養子となった後に兵庫頭・河越教重の養嗣子となったとされる[1]が、賢在の兵庫頭の職は外祖父の平田職広(深尾職久)から継承したものであり、賢在やその後継者である兼字が清原朝臣を自称した資料は存在しない[2]。
元和6年(1620年)1月6日には7歳で従五位下・兵庫頭に叙任されている[3]。