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河渡 (新潟市)

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日本 > 新潟県 > 新潟市 > 東区 (新潟市) > 河渡 (新潟市)
河渡
原信マーケットシティ河渡(2020年4月)
原信マーケットシティ河渡(2020年4月)地図
北緯37度56分11.74秒 東経139度5分59.81秒 / 北緯37.9365944度 東経139.0999472度 / 37.9365944; 139.0999472
日本の旗 日本
都道府県 新潟県
市町村 新潟市
東区
人口
2018年(平成30年)1月31日現在)[1]
 • 合計 3,105人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
950-0024[2]
市外局番 025 (新潟MA)[3]
ナンバープレート 新潟

河渡(こうど)は、新潟県新潟市東区町字。現行行政地名は河渡一丁目から河渡三丁目と大字河渡。住居表示は一丁目から三丁目が実施済み区域、大字が未実施区域[4]郵便番号は950-0024[2]

概要

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1889年(明治22年)まであった河渡新田の区域[5]。物見山砂丘の南麓、通船川の北岸に位置する[5]。地名は、阿賀野川の渡河地点であったことに由来する[5]

隣接している町字

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北から東回り順に、以下の町字と隣接する。

  • 松園
  • 小金町
  • 藤見町
  • 河渡本町
  • 有楽
  • 向陽

地域

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河渡 (こうど)
1980年(昭和55年)から現在の町名[6]。はじめは1丁目から2丁目までだったが、1983年(昭和58年)から1丁目から3丁目になった[6]
河渡庚 (こうどかのえ)
河渡から南東にある大字。地図上では河渡と表示され、区域の大半は「マーケットシティ河渡」になっている。
河渡甲 (こうどこう)
新潟空港がある松浜町に隣接する大字。地図上では河渡と表示される。

歴史

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かつては沼垂町の一部で、沼垂町移転時に独立したという説もある[5]

1889年(明治22年)以後は松島村の大字となり、1898年(明治31年)に新松島村、1901年(明治34年)に大形村の大字となる[6]1929年(昭和4年)には宅地分譲が行われ、1935年から1945年(昭和10年代)には新潟人絹工場、昭和石油社宅、石井精密が設置された[6]

1943年(昭和18年)に新潟市の大字となり、それまでは河渡新田と称したが、新潟市への編入時に河渡に改称した[6]1950年(昭和25年)から1983年(昭和58年)にかけて、一部が平和町、船江町、浜谷町、河渡、河渡新町、河渡本町、幸栄、物見山、小金町、松和町、松園、有楽、白銀、藤見町に分立[6]1955年から1965年(昭和30年代)には砂丘地の宅地化が急速に進み、1964年(昭和39年)の新潟地震以後、住宅地に変わった。新潟市が政令市に移行した2007年(平成19年)以後、新潟市東区の大字となっている。

分立した町字

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1889年(明治22年)以後に、以下の町字が分立。

空港西 (くうこうにし)
1989年(平成元年)から2002年(平成14年)の間に分立した町字[7]
幸栄 (こうえい)
1980年(昭和55年)から、現在まである新潟市の町名[8]。1丁目から3丁目がある[8]。かつては松林だったが、1964年(昭和39年)の新潟地震後に宅地化された[8]
河渡新町 (こうどしんまち)
1983年(昭和58年)から現在の町名[6]1945年から1955年(昭和20年代)から人家ができ始め、河渡新町と俗称されていた[6]。新潟地震以後に急速に開発が発展し、宅地化した[6]
河渡本町 (こうどほんちょう)
1983年(昭和58年)から現在の町名[6]。町名は、河渡本来の集落があることに由来する[6]
小金台 (こがねだい)
1999年(平成11年)11月1日に分立した町字[9]
小金町 (こがねちょう)
1951年(昭和26年)から、現在まである新潟市の町名[10]
白銀 (しろがね)
1973年(昭和48年)から、現在まである新潟市の町名[11]。1964年(昭和39年)の新潟地震後に宅地化された[11]
浜谷町 (はまやちょう)
1957年(昭和32年)から、現在まである新潟市の町名[12]。町名の由来は、字浜谷内にちなむとされる[12]。1945年から1955年(昭和20年代)に人家が建ち始めた地域で、以前は原野であった[12]
藤見町 (ふじみちょう)
1950年(昭和25年)から、現在まである新潟市の町名[13]。町名は、が群生していたことにちなみ[13]、王瀬の長者が藤を植えて藤見をした場所であるとされる[14]。1988年(昭和63年)10月3日に住居表示を実施し、藤見町1丁目、藤見町2丁目となる[15]
船江町 (ふなえちょう)
1952年(昭和27年)から、現在まである新潟市の町名[16]。1955年から1965年(昭和30年代)に県営住宅、市営住宅が建設されたが、新潟地震以後は砂丘を削って急速に開発が発展し、宅地化した[16]。2000年(平成12年)11月27日に住居表示を実施し、河渡甲の一部を加えて船江町1丁目、船江町2丁目となる[17]
平和町 (へいわちょう)
1952年(昭和27年)から、現在まである新潟市の町名[18]。町名は、この地にあった太平鉱業(現:三菱マテリアル)の「平」と、昭和石油の「和」を組み合わせたもの[18][19]。太平鉱業は1936年(昭和11年)に新潟人絹工場として進出した後、新潟地震前に移転[18]。昭和石油は1934年(昭和9年)に新油石油として進出していた[18]
松園 (まつぞの)
1980年(昭和55年)から、現在まである新潟市の町名[20]。もとは河渡、小金町の一部で、かつては松林であった[20]。現在は宅地化され、住宅地になっている[20]
松和町 (まつわちょう)
1980年(昭和55年)から、現在まである新潟市の町名[21]。もとは河渡、物見山、小金町の一部[21]
物見山 (ものみやま)
1980年(昭和55年)から、現在まである新潟市の町名[22]。もとは1960年(昭和35年)から1980年(昭和55年)まであった物見山町と河渡、浜谷町の一部で、1丁目から4丁目がある[22]。町名は物見山砂丘にちなむ[22]
有楽 (ゆうらく)
1973年(昭和48年)から、現在まである新潟市の町名[23]。かつては松林だった所で、新潟地震以後に急速に開発が発展し宅地化した[23]

年表

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世帯数と人口

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2018年(平成30年)1月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字丁目 世帯数 人口
河渡 332世帯 702人
河渡一丁目 328世帯 993人
河渡二丁目 316世帯 728人
河渡三丁目 281世帯 682人
1,257世帯 3,105人

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[24]

大字・丁目 番地 小学校 中学校
河渡 1~55番地 新潟市立桃山小学校 新潟市立山の下中学校
庚1~庚13、庚25
庚78、庚83~庚92
庚117~庚135、庚138~庚184
庚186~庚198、庚200~庚203
庚205~庚287、庚289
庚295、庚296番地1~64
庚317~庚347、庚359番地1・3
庚363~庚400
新潟市立東山の下小学校 新潟市立藤見中学校
その他 新潟市立下山小学校 新潟市立下山中学校
河渡一丁目 全域 新潟市立東山の下小学校 新潟市立藤見中学校
河渡二丁目 全域
河渡三丁目 全域

主な企業・施設

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コメリパワー河渡店(2020年4月)

交通

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山の下東港線(2020年4月)

幹線道路山の下東港線が東西に走る。

バス

脚注

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注釈
出典

参考文献

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  • 角川日本地名大辞典 編纂委員会『角川日本地名大辞典 15 新潟県』(株)角川書店、1989年10月8日。ISBN 4-04-001150-3 
  • 『新潟歴史双書 8 新潟の地名と歴史』新潟市、2004年3月31日。 
  • 市報にいがた 1127号2面”. 新潟市 (1988年10月2日). 2014年8月10日閲覧。
  • 市報にいがた 1705号1面”. 新潟市 (1999年10月31日). 2014年8月10日閲覧。
  • 市報にいがた 1761号1面”. 新潟市 (2000年11月26日). 2014年8月10日閲覧。

関連項目

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