河合誠一マイケル
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河合 誠一マイケル | |
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出生名 | 河合 誠一マイケル[1] |
別名 |
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生誕 | 1957年??月??日 |
出身地 | アメリカ合衆国・マサチューセッツ州[2] |
学歴 | 上智大学経済学部経済学科卒業 |
職業 | |
担当楽器 | |
活動期間 | |
共同作業者 |
河合 誠一マイケル(かわい せいいちマイケル、本名同じ[1]、1957年[2] - )は、日本のドラマー、パーカッショニスト、音楽プロデューサー。ソニー・ミュージックエンタテインメントSDグループ副本部長兼CPグループCPワークス・チーフプロデューサー。
アメリカ合衆国マサチューセッツ州生まれ[2]。両親ともに日本人だが、アメリカでの学生結婚で生まれたため、同国の国籍と「マイケル」の名を持つ[1]。
別名義で、マイケル河合[注釈 1]河合マイケル[3]、マイケル鼻血[注釈 2]、ユンケル鼻血[注釈 3]としても活動している。
来歴
[編集]1975年、上智大学経済学部経済学科入学[3]。在学中にザ・スクェアなどのドラマーとしてバンド活動を行なう[4]。
1979年、大学卒業と同時にCBS・ソニーへ入社[2][5]。1981年にジャズの制作[2]、1983年から[2]大瀧詠一を担当[2][6]。その後、プリンセス プリンセス[2][7]、UNICORN[2]、ピチカート・ファイヴ[2][8] などのアーティストのプロデュースを手掛ける。
人物
[編集]ドラムの腕については、音楽プロデューサーの伊藤八十八(ザ・スクェアの初代プロデューサーでもあった)が「国内でも5本の指に入る」と高く評価していた[9]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c ソフト研究会 1990, p.74。
- ^ a b c d e f g h i j “デビュー虎の巻 講師:マイケル河合”. ウタレン -歌練道場♪オンライン. 2019年2月2日閲覧。
- ^ a b ソフト研究会 1990, p.73。
- ^ ソフト研究会 1990, p.76。
- ^ ソフト研究会 1990, p.77。
- ^ ソフト研究会 1990, pp.79-80。
- ^ ソフト研究会 1990, pp.80-82。
- ^ ソフト研究会 1990, p.87。
- ^ 『NANIWA EXPRESS BOX 〜SONY MUSIC YEARS』(Booklet)NANIWA EXPRESS、SONY MUSIC DIRECT ⁄ GT music、2007年。MHCL-1070。
参考文献
[編集]- ソフト研究会 編集「ディレクターを務めるいまでも現役ミュージシャン気分 河合マイケル氏」『ディレクターの仕事がおもしろい レコード業界/第一線ディレクター15人に聞く。』ビクター音楽産業、1990年1月20日、73-87頁。ISBN 4893890174。