池田百合子
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池田 百合子(いけだ ゆりこ、1933年〈昭和8年〉10月4日[1] - )は、日本の美術史家。因州池田家第18代(最後の)当主[2]。
概要・経歴
[編集]因州池田家第17代当主・池田徳真の長女として誕生した[2]。
東洋美術史を研究し、サンフランシスコ州立大学、早稲田大学国際学部[3]などで教授を歴任。1996年に早稲田大学を退職し、鳥取市歴史記念博物館名誉館長[4][5]などの役職を務める。
百合子は池田家一門から池田敏夫を婿養子に迎えていたが、父徳真の没後は自身が池田家当主となった。百合子も養子を取るものの家の後継者にはすえず、自らの没後に家名を絶やす「絶家」を表明した[2]。この経緯により、東京・多磨霊園にあった鳥取藩主池田家の墓は、2003年に鳥取市立川町の大雲院境内に移築改葬され、「史跡鳥取藩主池田家墓所保存会」[6]が設けられた[疑問点 ][7]。
系譜
[編集]主な著作
[編集]- 訳書
- S・C・ウェルシュ 著『インド美術 : ムガールのミニアチュール』アジア・ハウス 編、美術出版社、1963年。doi:10.11501/2501820、国立国会図書館内/図書館・個人送信
- 論文
- 「西域南道とインドの関係」『東西文化交流史』松田寿男博士古稀記念出版委員会 編、雄山閣出版、1975年。国立国会図書館限定
- 「書評 ・宮治昭『インド美術史』」『美術手帖』第34巻第491号、カルチュア・コンビニエンス・クラブ、1982年1月、p38-39(コマ番号0029.jp2)。国立国会図書館限定
- 「随想 歴史的独立と文化的自立」『海外の教育』第24巻第3号(通号219)、全国海外教育事情研究会 編、全国海外教育事情研究会、1998年4月p.6-7(コマ番号0005.jp2)。doi:10.11501/7965585、国立国会図書館内/図書館・個人送信。
共著
- 田中於菟弥、長柄行光と共編「サンスクリット語学習用録音テープの解説--インド大使館所蔵AII India Radio製作」『早稲田大学語学教育研究所紀要』通号6(1967)、早稲田大学語学教育研究所、1968年3月、p.78-93(コマ番号0041.jp2)。doi:10.11501/7945092、国立国会図書館内/図書館・個人送信
- 『イスラム世界の旅』並河万里(撮影)、学習研究社〈並河萬里 遺跡を行く第1集〉、1976年、OCLC 80067161。
脚注
[編集]- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻(霞会館、1996年)p.99
- ^ a b c 「鳥取藩池田家を絶家 池田百合子さんに聞く未来に尽くす一つの形 墓所保存に心砕く」『日本経済新聞』2015年10月24日。2022年6月6日閲覧。
- ^ 内田満; 池田百合子、中原道子. “第一編 学部(続) §第九章 国際部 §§5 国際部スタッフおよび施設”. 早稲田大学百年史. 2022年9月29日閲覧。 “昭和四十三年に池田百合子が、昭和四十六年に中原道子が、それぞれ専任講師として教員スタッフに加わった。両講師(池田百合子は昭和四十八年、中原道子は昭和五十一年に、それぞれ助教授に昇任)”
- ^ 「池田百合子氏が名誉会長に就任されました」『鳥取県公式サイト』 。2022年6月19日閲覧。
- ^ 『公益財団法人史跡鳥取藩主池田家墓所保存会設立50周年記念講演会の開催/報道提供資料』(プレスリリース) 。2022年9月29日閲覧。「特別講演「私と池田家」 池田百合子氏(第16代池田家当主)」。開催を自粛した記念講演会の式次第より。
- ^ “公益財団法人史跡鳥取藩主池田家墓所保存会/ 鳥取藩主池田家墓所”. www.pref.tottori.lg.jp(とりネット/鳥取県公式サイト). 鳥取県. 2022年9月29日閲覧。
- ^ “保存会設立50周年記念講演会”. www.pref.tottori.lg.jp (とりネット/鳥取県公式サイト). 鳥取県. 2022年9月29日閲覧。。講演会で発表予定だった講師の動画を公開。記念講演「戦国時代と池⽥家の成⽴」小和田哲男氏(静岡大学名誉教授・文学博士)。対談「史跡⿃取藩主池⽥家墓所の魅⼒」 聞き⼿:伊藤康晴⽒(⿃取市歴史博物館学芸員)
当主 | ||
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先代 池田徳真 |
旧鳥取藩主池田家 18代 1993年 - |
次代 (絶家予定) |