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池 清(いけ きよし、1895年6月10日[1] - 1952年10月17日[2])は、朝鮮総督府官僚。徳山市(現・周南市)市長。
山口県都濃郡徳山町(現在の周南市)出身[3]。1917年、逓信官吏練習所卒[1]。朝鮮総督府逓信局に勤務する[1]。1925年に高等試験行政科に合格した後[3]、朝鮮総督府逓信局副事務官[3]、京城貯金管理所主計課長[3]、朝鮮総督府逓信事務官[3]、逓信局庶務課長[3]、高等海員審判所理事官[1]、新義州税関長などを経て[1]、朝鮮総督府農林局林政課長兼土地改良課長[1]から平壌府尹に勤務し、終戦を迎えた[2]。日本に引揚げた後の1947年、徳山市助役に就任した[2]。
1951年の徳山市長選挙に立候補。池は「市政の刷新」「健全財政化」「産業の振興と工場誘致」「学校の建設と充実」などを公約[4]に激しい選挙戦を制して当選、市長に就任した[2]。
市町在職中は徳山駅前の区画整理事業が完成[2]。周南都市圏振興協議会の発足[2]。市の出張所の整理統合[2]。1952年には市営大津島刈尾海水浴場の開設[2]。市社会福祉協議会の発足[2]が実施されたが、病気のため8月24日付で市長を辞職[2]。治療に専念したが、10月17日に死去した。
- 『輓近大日本拓殖史』、日本行政学会、1934年。
- 『日本官界名鑑』昭和十七年版、日本官界情報社、1942年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1985年。
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官選 |
旧徳山市長 |
- 本城嘉守1935.12.18-1939.12.17
- 羽仁潔1940.6.12-1944.3.31
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徳山市長 |
- 羽仁潔1944.6.12-1945.7.27
- 玉野三平1945.9.29-1947.3.22
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公選 |
徳山市長 |
- 長谷川藤七1947.4.15-1951.4.14
- 池清1951.4.23-1952.8.24
- 黒神直久1952.8.31-1961.5.20
- 高村坂彦1960.6.18-1976.8.31
- 河野通重1976.10.11-1979.3.7
- 小川亮1979.4.22-1999.4.25
- 河村和登1999.4.26-2003.4.20(廃止)
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カテゴリ |
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2003年4月21日合併 |
徳山市長 |
官選 |
- 羽仁潔1944.6.12-1945.7.27
- 玉野三平1945.9.29-1947.3.22
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公選 |
- 長谷川藤七1947.4.15-1951.4.14
- 池清1951.4.23-1952.8.24
- 黒神直久1952.8.31-1961.5.20
- 高村坂彦1960.6.18-1976.8.31
- 河野通重1976.10.11-1979.3.7
- 小川亮1979.4.22-1999.4.25
- 河村和登1999.4.26-2003.4.20
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新南陽市長 |
- 久楽利郎1970.11.1-1975.11.30
- 本田豊輔1975.12.28-1987.12.27
- 藤本博吉1987.12.28-1995.12.27
- 藤井正彦1995.12.28-1999.12.27
- 吉村徳昌1999.12.28-2003.4.20
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合併後 |
- 河村和登 2003.5.25-2007.5.24
- 島津幸男 2007.5.25-2011.5.24
- 木村健一郎 2011.5.25-2019.5.24
- 藤井律子 2019.5.25-
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カテゴリ |