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江角千代次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
江角千代次郎
えずみ ちよじろう
生年月日 1864年12月16日
出生地 日本の旗 日本 出雲国出雲郡坂田村
(現・島根県出雲市
没年月日 (1934-06-19) 1934年6月19日(69歳没)
所属政党無所属→)
帝国党

選挙区 (島根県第3選挙区→)
島根県郡部選挙区
当選回数 4回
在任期間 1898年 - 1908年3月27日

簸川郡会議員
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江角 千代次郎(えずみ ちよじろう、1864年12月16日(元治元年11月18日[1][2])- 1934年昭和9年)6月19日[3][4])は、明治から大正期の地主、農業経営者、政治家、銀行家。衆議院議員。号・楽所、有所[2][5]

経歴

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出雲国出雲郡坂田村[1]島根県[3]出雲郡坂田村、出東村簸川郡出東村[4][5]、斐川村、斐川町を経て現出雲市)で、大地主[2][5]・江角権蔵、すい の長男として生まれる[1][2][5]。普通学を学び[5]、黒田龍二から漢学を[5]雨森精斎から和漢の歴史を学んだ[1][5]


村会議員、町村組合会議員、簸川郡会議員、徴兵参事員、所得税調査委員などを務めた[1][2][3][4][5]。1898年(明治31年)8月、第6回衆議院議員総選挙(島根県第3区)で初当選し[1][2][5][6]、その後、第9回総選挙まで3回再選され、最後は大同倶楽部に所属し衆議院議員に連続4期在任した[3][4]

また、公共、慈善事業に多額の寄付を行い[2]、実業界では、湖西銀行取締役[2]、同頭取を務め[1][3]、1926年(大正15年)に隠居した[7]

国政選挙歴

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『人事興信録 初版』876頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『大日本人物誌』え之部13頁。
  3. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』99頁。
  4. ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』76頁。
  5. ^ a b c d e f g h i 『衆議院議員列伝』429頁。
  6. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』102頁。
  7. ^ 『人事興信録 第8版』エ7頁。
  8. ^ a b c 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』27頁。

参考文献

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  • 山崎謙編『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年。
  • 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。