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永井 直重(ながい なおしげ、慶長9年(1604年) - 天和2年9月11日(1682年10月11日))は、江戸時代前期の旗本である。
永井直勝の四男。式部少輔。兄弟に永井尚政(長兄)、永井直清(次兄)、永井直貞(三兄、豊前守)、柴田康長正室、土屋利直正室、淳美友之室。室は山名豊政の娘。子に永井直頼。
15歳より将軍徳川秀忠に仕える。寛永3年(1626年)、父の直勝が死去すると、兄の尚政より遺領のうち、3,200石を分与される。寛永11年(1634年)6月、将軍徳川家光の上洛の共奉となる。
墓は江戸・四谷鮫河橋千日谷(現在の新宿区南元町)の一行院。