山名豊政
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 元亀2年(1571年) |
死没 | 寛永7年6月28日(1630年8月6日) |
別名 | 平右衛門(通称) |
戒名 | 法雲院殿桂岳道栄日潤大居士 |
墓所 | 青山霊園 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川秀忠→家光 |
藩 | 但馬福岡領主 |
氏族 | 山名氏 |
父母 | 父∶山名豊国 |
兄弟 |
勝七郎、豊政、庄兵衛、土岐頼勝室、 朽葉七郎左衛門室、豊義、豊晴 |
妻 | 大沢基宿娘養安院 |
子 |
矩豊、安千代、義豊、本多重世室、 妻木頼信室、永井直重室 |
山名 豊政(やまな とよまさ)は、江戸時代前期の交代寄合。通称は平右衛門。
生涯
[編集]山名豊国の子として誕生。
下総国葛飾郡にて1千石を賜った。元和3年(1617年)に家督を継ぎ、但馬国福岡領主となった。この際、先に賜った1千石は一旦収公の上、改めて幕府から弟の豊義に与えられた。
高家である大沢基宿の娘を正室として迎えた。寛永5年(1628年)、故あって9歳の実子の矩豊に家督を譲り隠居し、寛永7年(1630年)に没する。
法名は法雲院殿桂岳道栄日潤大居士。墓所は武蔵国碑文谷法華寺のち、自證院、 明治時代に青山霊園に改葬。