水無瀬氏成
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代 |
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生誕 | 元亀2年10月27日(1571年11月14日) |
死没 | 寛永21年9月17日(1644年10月17日) |
改名 | 氏成→是空(法名) |
官位 | 正二位・権中納言 |
主君 | 正親町天皇→後陽成天皇→後水尾天皇→明正天皇→後光明天皇 |
氏族 | 水無瀬家 |
父母 | 父:水無瀬兼成、母:阿州足利 |
兄弟 | 氏成、女(大通寺従高室) |
妻 | 高倉永相の娘 |
子 | 兼俊、七条隆脩、順応、女、女、水無瀬氏子(後水尾天皇宮人)、女(松尾修理室)、女、女、女(加納十大夫室)、女(西郷藤左衛門室) |
水無瀬 氏成(みなせ うじなり)は、戦国時代から江戸時代の公卿。正二位・権中納言[1]。
生涯
[編集]元亀2年(1571年)10月27日、水無瀬兼成の嫡子として誕生する。
だが、兼成が 高倉永家の四男・親具をすでに養子としていたため、その跡目をめぐって争いが起きた。結局、親具は水無瀬家を去り、別家となる堀河家を立ち上げた。
人物
[編集]歌人として、『詠富士和歌』『水無瀬富士百首』などを詠んだ。また、著書『和歌当務抄』『隠岐記』を残している。