水無月 (初代神風型駆逐艦)
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(水無月 (神風型駆逐艦)から転送)
艦歴 | |
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計画: | 1905年度 |
起工: | 1906年2月25日 |
進水: | 1906年11月5日 |
就役: | 1907年2月14日(第二十七号駆逐艦) |
除籍: | 1930年6月1日 |
廃船 | 1930年7月3日 |
その後: | 1931年5月28日 払い下げの後海礁として海没 |
性能諸元 | |
排水量 | 常備:381t 満載:450t |
全長 | 69.2メートル |
全幅 | 6.6メートル |
吃水 | 1.8メートル |
機関 | レシプロエンジン2基2軸、6,000hp |
最大速力 | 29ノット |
航続距離 | 11ノット/850カイリ |
乗員 | 70人 |
兵装 | 80mm(40口径)単装砲 2門 80mm(28口径)単装砲 4門 450mm魚雷発射管 2門 |
水無月(みなづき)は日本海軍の駆逐艦。初代神風型駆逐艦の27番艦である。同名艦に睦月型駆逐艦の「水無月」がある為、こちらは「水無月 (初代)」や「水無月I」などと表記される。
艦歴
[編集]- 1907年(明治40年)2月14日 - 三菱合資会社三菱造船所(現・三菱重工長崎造船所)で建造、竣工。
- 1924年(大正13年)12月1日 - 駆逐艦から掃海艇へと類別変更。
- 1928年(昭和3年)8月1日 - 変更に伴い、「第十号掃海艇」に改称する。
- 1930年(昭和5年)6月1日 - 除籍、「廃駆逐艦第十号」へと仮称。
- 7月3日 - 廃船。
- 1931年(昭和6年)5月28日 - 売却され、高知県で漁礁として海没。
艦長
[編集]※『官報』に基づく。階級は就任時のもの。
- 駆逐艦長
- 東島乙吉郎 少佐:1907年1月18日 - 1907年7月1日
- 加々良乙比古 大尉:1907年7月1日 - 9月28日
- 原完二 大尉:1907年9月28日 - 1908年12月23日
- 石川庄一郎 大尉:1908年12月23日 - 1909年2月1日
- (兼)馬島専之助 大尉:1909年2月1日 - 12月1日
- 唐沢忠祥 大尉:1909年12月1日 - 1910年7月16日
- 森田但次 大尉:1910年7月16日 - 1911年4月17日
- 影浦喜次郎 大尉:1911年4月17日 - 1913年8月10日
- 佐川英夫 少佐:1913年8月10日 - 1914年3月23日
- 関谷光平 大尉:1914年3月23日 - 1916年6月1日
- 小川又喜 大尉:1916年6月1日 - 12月1日
- 工藤健次郎 大尉:1916年12月1日 - 1917年12月1日[1]
- 高島田政耕 大尉:1917年12月1日[1] - 1918年12月13日[2]
- (兼)影浦喜次郎 中佐:1918年12月13日[2] - 不詳
- (兼)堀内宗平 中佐:不詳 - 1919年2月1日[3]
- (兼)影浦喜次郎 中佐:1919年2月1日[3] - 7月29日[4]
- 佐野哲 大尉:1919年7月29日[4] - 1921年1月20日[5]
- 山下深志 大尉:1921年1月20日[5] - 1922年3月20日[6]
- 中原達平 大尉:1922年3月20日[6] - 1922年7月1日[7]
- 友成佐市郎 大尉:1922年7月1日 - 1923年12月1日
- 佐々木喜代治 大尉:不詳 - 1924年8月25日[8]
- 広瀬末人 大尉:1924年8月25日 - 12月1日
- 掃海艇長
- 手束五郎 大尉:1924年12月1日 - 1925年12月1日
- 成田忠良 大尉:1925年12月1日[9] - 1927年11月15日[10]
- 八木九五 大尉:1927年11月15日[10] - 1928年12月10日[11]
- 北村昌幸 大尉:1928年12月10日 - 1929年11月1日
- (兼)上田光治 大尉:1929年11月1日[12] - 1930年1月20日[13]
脚注
[編集]- ^ a b 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
- ^ a b 『官報』第1910号、大正7年12月14日。
- ^ a b 『官報』第1949号、大正8年2月3日。
- ^ a b 『官報』第2096号、大正8年7月31日。
- ^ a b 『官報』第2539号、大正10年1月21日。
- ^ a b 『官報』第2888号、大正11年3月22日。
- ^ 『官報』第2975号、大正11年7月3日。
- ^ 『官報』第3603号、大正13年8月26日。
- ^ 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
- ^ a b 『官報』第266号、昭和2年11月16日。
- ^ 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
- ^ 『官報』第854号、昭和4年11月2日。
- ^ 『官報』第916号、昭和5年1月21日。
参考文献
[編集]- 『官報』