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小早川四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
毛利四郎から転送)
小早川四郎
こばやかわ しろう
小早川八郎(1913年頃撮影)
生年月日 1871年9月11日
没年月日 (1957-02-10) 1957年2月10日(85歳没)
所属政党 研究会
称号 勲二等瑞宝章
配偶者 小早川式子
子女 養子・小早川元治
親族 父・毛利元徳(貴族院議員)
兄・毛利元昭(貴族院議員)
義兄・三条公輝(貴族院議員)
弟・毛利五郎(貴族院議員)
弟・西園寺八郎(貴族院議員)
甥・毛利元道(貴族院議員)
甥・西園寺公一(参議院議員)

在任期間 1898年4月15日 - 1922年3月23日
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小早川 四郎(こばやかわ しろう、1871年9月11日(明治4年7月27日[1]) - 1957年昭和32年)2月10日[1][2])は、明治から昭和期の宮内官、政治家華族貴族院男爵議員宮中顧問官。旧姓・毛利[1]

略歴

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長州藩主・毛利元徳の四男として生まれる[1][3][4]。兄小早川三郎の死去に伴い、その死跡を1883年5月24日に継承した[1][3][5][注 1]1884年7月8日、男爵を叙爵[1][3][4][5][6]

慶應義塾幼稚舎(同窓に広沢金次郎九鬼隆輝が居る)を経て[7]1885年(明治18年)2月、ドイツ帝国に留学し、1897年(明治30年)8月に帰国した[2][4][5]。その後、宗秩寮審議官、侍従次長、宮中顧問官などを務めた[2][3]

1898年(明治31年)4月15日、貴族院男爵議員補欠選で当選し[8][9]研究会に所属して活動し、1922年(大正11年)3月23日に辞職するまで4期在任した[2][10][11]

栄典

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親族

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『大日本華族大鑑』157頁では5月21日。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 霞会館 1996, p. 608.
  2. ^ a b c d 衆議院 & 参議院 1990, p. 71.
  3. ^ a b c d 人事興信所 1943, p. コ36.
  4. ^ a b c 筒井住蓮 1911, p. 157.
  5. ^ a b c 杉謙二 2011, p. 561.
  6. ^ 『官報』第308号.
  7. ^ 柳田泉 1935, p. 438.
  8. ^ 貴族院事務局 1947, p. 9.
  9. ^ 『官報』第4437号.
  10. ^ 貴族院事務局 1947, p. 30.
  11. ^ 『官報』第2890号.
  12. ^ 『官報』第4101号, 「敍任及辞令」.
  13. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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参考図書

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文献

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  • 柳田泉『明治初期の飜譯文學』春秋社〈明治文學叢刊〉、1935年。 

官報

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  • 『官報』第308号、1884年7月9日。 
  • 『官報』第4437号、1898年4月19日。 
  • 『官報』第2890号、1922年3月24日。 
  • 『官報』第4101号、1926年4月28日。 

関連文献

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  • 慶應義塾大学 編『福沢諭吉書簡集第4巻』岩波書店、2001年8月23日、92頁。 
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
小早川家初代
1884年 - 1947年
次代
華族制度廃止