殺害されたローマ教皇の一覧
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殺害されたローマ教皇の一覧(さつがいされたローマきょうこうのいちらん)では自然死によらない死を迎えた歴代のローマ教皇を扱う。
死因としては殉教 (ステファヌス1世[1])や戦死(ルキウス2世 [2])、不倫相手の夫による殴打(ヨハネス12世)などを含む。その他、殺害を疑われている複数の教皇がいるが、それらの決定的な証拠は発見されていない。
殉教
[編集]- ペトロ (c. 67), 伝統的には逆さ磔によって殉教したとされる[3]
- リヌス (聖リヌス) (c. 67 – c. 76)[4][5]
- アナクレトゥス(聖クレトゥス) (c. 79 – c. 92)[6][4]
- クレメンス1世 (聖クレメンス1世) (c. 92 – c. 99), 伝承では錨に縛り付けられて海に投じられたとされる[4]
- エウァリストゥス (c. 99 – c. 108),[4][5] ローマ殉教録には記載されていないが処刑死とされる[7]
- シクストゥス1世 (聖シクストゥス) (c. 119 – c. 128)[4][5]
- テレスフォルス (聖テレスフォルス) (c. 128 – c. 138)[4]
- アニケトゥス (聖アニケトゥス) (155–166), 伝統的に殉教したとされる[4]
- ソテル (聖ソテル) (166–175), 殉教 [4]
- エレウテルス (聖エレウテリウス) (175–189), 殉教[4]
- ウィクトル1世 (聖ウィクトル1世) 189–199, 殉教[4]
- カリストゥス1世 (聖カリストゥス1世) (217–222), 殉教[4]
- ウルバヌス1世 (聖ウルバヌス1世) 222–230, 殉教[4]
- ポンティアヌス (聖ポンティアヌス) 230–235, サルデーニャ島の鉱山での強制労働刑に処せられたのち、亡くなった[4]
- アンテルス (聖アンテルス), elected 21 November 235, 皇帝マグヌス・マクシムスによる迫害により殉教[4]
- ファビアヌス (聖ファビアヌス), 236年1月10日に教皇になり、皇帝デキウスによる迫害により斬首刑となった[4]
- コルネリウス (聖コルネリウス), 251年3月に教皇となり、253年6月に殉教[4]
- ルキウス1世 (聖ルシウス), 253年6月5日に教皇になり、254年3月5日に殉教[4]
- ステファヌス1世 (聖ステファノ1世), 254年5月12日に教皇になり、257年8月2日に殉教[4][8]
- シクストゥス2世 (聖シクトゥス2世),257年8月30日に教皇になり、258年8月6日に殉教[4]
- ディオニュシウス (聖ディオニシウス), 259年7月22日に教皇になり、268年12月26日に殉教[4]
- フェリクス1世 (聖フェリクス1世), 269年1月5日に教皇になり、274年12月30日に殉教[4]
- エウティキアヌス (聖エウティキアヌス), 275年1月4日に教皇になり、283年12月7日に殉教[4]
- カイウス (聖ガイウス), 283年12月17日に教皇になり、296年4月22日に殉教したが、親族であるディオクレティアヌス帝によるものではない[4]
- マルケリヌス (聖マルケリヌス), 296年6月30日に教皇になり、304年10月25日にディオクレティアヌスによる迫害で殉教[4]
- マルケルス1世 (聖マルケルス1世), 4年間の空位時代の後、308年5月27日に教皇になり、309年1月16日に殉教[4]
- エウセビウス (聖エウセビウス),309年4月18日に教皇になり、309年8月17日にシチリアで殉教[4]
- ヨハネス1世 (聖ヨハネス1世), 523年8月13日に教皇になった。西ローマ帝国滅亡後で、東ゴート族がイタリア半島を支配していた。ヨハネスは東ゴート王テオドリックによって、コンスタンティノープルに使節として派遣されたが、帰国後、東ローマ帝国との共謀の罪で投獄され、526年5月18日に獄中で亡くなった[4]
- マルティヌス1世 (聖マルティノ1世) 649年選出。655年9月16日に流刑先で亡くなる
殉教以外の殺害
[編集]- ヨハネス8世 (872–882), 伝承によれば、まず毒を盛られ、その後、鈍器によって撲殺された
- ステファヌス6世 (896–897), 絞殺された
- レオ5世 (903), 伝承によれば絞殺された
- ヨハネス10世 (914–928), 伝承によれば枕を使って窒息死させられた
- ヨハネス12世 (955–964), 伝承によれば、不倫相手の夫によって、ベッドの上で殺害された
- ベネディクトゥス6世 (973–974), 絞殺された
- ヨハネス14世 (983–984), 投獄中、消極的に、あるいは意図的に餓死に追い込まれた
疑わしい事例
[編集]- アレクサンデル1世 (聖アレクサンデル) (c. 106 – c. 119),[4][5] 聖アレクサンデルの殉教(聖人暦5月3日)は1960年に取り消された
- ヒギヌス (聖ヒギヌス) (c. 138 – c. 142),[4] 殉教したとされる[9]
- ピウス1世 (聖ピウス1世) (c. 142 – c. 154), 古い資料では剣によって殉教したとされていた[10]。1969年以降のカトリック教会の聖人暦からは除かれている[11]
- クレメンス2世 (1046–1047),毒殺を疑われている[12]
- ケレスティヌス5世 (1294–1296), 後継教皇のボニファティウス8世の命令で、退位後に監禁され殺害されたと伝わる[13]
- ボニファティウス8世 (1294–1303), アナーニ事件中の虐待が原因で、一月後に死亡(憤死)したと伝わる[14]
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ Jacobus de Voragine; William Granger Ryan (1993). The golden legend: readings on the saints. Princeton University Press. p. 39. ISBN 9780691001548
- ^ Foul Play Suspected in Popes Death? Baltimore Afro-American - October 10, 1978
- ^ Kirsch, Johann Peter (1911), “St. Peter, Prince of the Apostles”, Catholic Encyclopedia, 11, New York: Robert Appleton Company 2013年6月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac I Sommi Pontifici Romani [要文献特定詳細情報]
- ^ a b c d 教皇の書 [要文献特定詳細情報]
- ^ 教皇庁年鑑 [要文献特定詳細情報]
- ^ Alexis-François Artaud de Montor (1911). The lives and times of the popes : including the complete gallery of the portraits of the pontiffs reproduced from "Effigies pontificum romanorum Dominici Basae": being a series of volumes giving the history of the world during the Christian era. 21. オリジナルのOctober 15, 2019時点におけるアーカイブ。 Quote: "Ignatius died of the wounds that were inflicted by ferocious beasts; Evaristus died under the hands of executioners, more cruel than the wild beasts themselves."
- ^ Jacobus de Voragine; William Granger Ryan (1993). The golden legend: readings on the saints. Princeton University Press. p. 39. ISBN 9780691001548
- ^ Kirsch, Johann Peter (1911), “Pope St. Hyginus”, Catholic Encyclopedia, 7, New York: Robert Appleton Company 2013年6月3日閲覧。
- ^ Butler, Alban (1866). “July 11: St. Pius I., Pope and Martyr”. The Lives of the Saints. 7. Dublin: James Duffy 2013年6月3日閲覧。
- ^ "Calendarium Romanum" (Libreria Editrice Vaticana, 1969), p. 129
- ^ Pope Clement II NewAdvent.org
- ^ Gregorovius, Ferdinand (1906) History of the City of Rome in the Middle Ages vol. 5 part 2
- ^ Pope Boniface VIII NewAdvent.org