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歩兵第24連隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
歩兵第24連隊
創設 1884年
廃止 1945年
所属政体 日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 福岡
編成地 小倉
通称号/略称 剣8703
愛称 福岡連隊
上級単位 熊本鎮台 - 第6師団 - 第12師団
最終位置 台湾 新竹
戦歴 日清 - 日露 - シベリア出兵 - 日中 - 第二次世界大戦
特記事項 福岡連隊差別事件
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歩兵第24連隊(ほへいだい24れんたい、歩兵第二十四聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。 通称「福岡連隊」。

沿革

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5月10日 - 大隊、福岡分営へ移動。翌11日到着
6月14日 - 連隊本部設置。竹田実行中佐、初代連隊長に就任
6月15日 - 第2大隊創設
8月17日 - 軍旗拝受。初代旗手は亀山正篤少尉
8月30日 - 日比谷練兵場にて授与式。歩兵第12旅団長野崎貞澄を通じて軍旗が授けられる
12月7日 - 第2大隊、福岡分営へ移動
5月14日 - 第6師団が創設
5月23日 - 福岡城内、正式に連隊衛戍地となる
12月1日 - 第3大隊創設。連隊の編成完了
7月25日 - 動員の命下る
9月18日 - 衛戍地出発
9月24日 - 門司港出発
9月27日 - 仁川に上陸。京城・龍山に駐屯
10月5日 - 旅順に向かう
11月20日 - 二龍山攻撃の命あり、翌日早朝より戦闘開始、午前11時30分占領。その後も旅順警備に徹し、翌6月4日凱旋。7日帰着、16日復員完結
  • 1896年(明治29年)12月 - 第6師団から第12師団へ所属変更
  • 1903年(明治36年) - 3月15日の陸軍管区改正により、歩兵第23旅団に編入
  • 1904年(明治37年) - 日露戦争に従軍。第1軍隷下
2月5日 - 衛戍地出発
2月8日 - 仁川上陸、京城に到着
3月 - 奉天会戦に参加、鉄嶺・崔陣堡に駐屯
5月4日 - 崔陣堡出発
12月12日 - 福岡凱旋、13日復員完結
8月 - 博多駅出発(第1段8日、第2段9日)
8月11日・12日 - 門司港発
8月14日・15日ウラジオストク着、ニコリスク移動。以後クラエフスキーほか各地を転戦
9月4日 - イーマンに到着
  • 1919年(大正8年)
1月16日~20日 - 召集将校以下の大部分、内地に帰還。しかし17日以降再度敵の反撃が激化したため4月13日に連隊主力を召集。ハバロフスクにて警備に徹する
6月10日 - 帰還命令、11日第2大隊先駆けて守備地より乗船し、21日門司港着、22日博多着
20日~25日 - 残存主力、各守備地を出発。
7月7日~9日 - 連隊主力門司港着、8日~9日に博多駅に凱旋
  • 1925年(大正14年)
9月9日 - 九州大学医学部の火災に2個中隊が出動。消火作業に当たる[1]
12月 - 奉天派郭松齢の兵変に1個大隊を派遣
  • 1926年(大正15年)
1月 - 連隊内の水平社同人対して差別的な発言が行われたことを契機に、水平社九州連合会と連隊当局との間で差別解消に向けた交渉が始まる(福岡連隊差別事件[2]
8月9日 - 連隊長官舎に爆発物が投げ込まれる。敷地外で爆発して死傷者なし[3]
11月12日 - 陸軍特別大演習の直前のタイミングで水平社の関係者が11人が逮捕[4]
  • 1932年(昭和7年)
2月2日 - 第1次上海事変に第1大隊を派遣の命あり、3日編成完了(大隊長・碇善夫少佐)
2月6日 - 足柄に乗艦し佐世保発。7日午前10時呉淞上陸。さらにおよび如月で黄浦江をのぼり、午後7時40分徐家宅に上陸。以降紀家橋付近の戦闘などに参加
2月22日 - 廟行鎮の戦闘。独立工兵第18大隊第2中隊の援護(いわゆる爆弾三勇士)を受けつつ敵トーチカを撃破
3月3日 - 戦闘停止。守備任務として駐屯継続
3月18日 - 遼海丸にて呉淞発
3月23日 - 門司港着、凱旋。26日復員完結
  • 1936年(昭和11年)4月 - 満州駐剳、梨樹鎮の治安戦に従事
  • 1937年(昭和12年)3月 - 寧安へ異動
  • 1944年(昭和19年)
2月24日 - 第3大隊、独立第49旅団に編入。ヤップ島に派遣され、終戦まで駐剳
12月 - 連隊主力、台湾高雄州鳳山群林子に移駐
  • 1945年(昭和20年)8月 - 終戦

歴代連隊長

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歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名 在任期間 備考
1 竹田実行 1886.5.27 - 中佐
2 佐藤正 1888.9.13 - 1891.10.29 中佐
3 小島政利 1891.10.29 - 中佐、1893.11.大佐
4 吉田清一 1894.8.11 - 中佐
5 湯地弘 1897.9.7 - 1901.11.13 中佐、1899.9.大佐
6 仙波太郎 1901.11.13 -
7 原田輝太郎 1903.4.7 - 中佐
8 山本悌三郎 1906.2.19 - 1911.9.6 中佐
9 横地長幹 1911.9.6 - 1915.1.25
10 松田祐作 1915.1.25 - 1917.8.6
11 稲垣清 1917.8.6 -
12 河野鉎次郎 1919.4.15 -
13 中江喜次郎 1923.8.6 -
14 田中源太郎 1926.3.2 -
15 鏡山厳 1927.7.26 -
16 石原紀一 1930.8.1 -
17 中牟田辰六 1931.8.1 -
18 伊藤知剛 1933.8.1 -
19 上村利道 1934.8.1 -
20 中村明人 1936.8.1 -
21 中永太郎 1937.8.2 -
22 武田寿 1938.6.11 -
23 川勝郁郎 1939.9.11 -
24 中村竜一 1941.11.15 -
菊地三郎 1944.3.1 -

脚注

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  1. ^ 九州大学医学部で火事『東京日日新聞』大正14年9月10日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p66 大正ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  2. ^ 爆発物取締罰則などで水平社の十一人起訴『大阪毎日新聞』昭和2年2月12日号外(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p622-623 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  3. ^ 連隊長の官舎に爆弾投げ込む『大阪毎日新聞』昭和2年2月12日号外(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p625)
  4. ^ 大掛かりな家宅捜索、綿火薬など押収『大阪毎日新聞』昭和2年12月12日号外(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p624)

参考文献

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  • 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
  • 原 剛『明治期国土防衛史』錦正社、2002年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 菅原道之編『福岡城と陸軍』陸軍墓地修復改良保存委員会、2009年。

関連項目

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