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武雄市立北方小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
武雄市立北方小学校
地図北緯33度13分03.9秒 東経130度04分11.2秒 / 北緯33.217750度 東経130.069778度 / 33.217750; 130.069778座標: 北緯33度13分03.9秒 東経130度04分11.2秒 / 北緯33.217750度 東経130.069778度 / 33.217750; 130.069778
過去の名称 北方町立北方小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 武雄市
併合学校 北方町立北方小学校(旧)
北方町立北方東小学校
設立年月日 1974年昭和49年)4月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B141220600139 ウィキデータを編集
所在地 849-2201
佐賀県武雄市北方町志久1389番地
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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武雄市立北方小学校(たけおしりつ きたがたしょうがっこう)は、佐賀県武雄市北方町志久にある市立小学校

概要

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歴史
1974年昭和49年)に当時の北方町内にあった小学校2校(北方小学校・北方東小学校)が統合されて開校した。現校名になったのは2006年平成18年)。2024年令和6年)に創立50周年を迎える。
校章
校名の「北」と「小」の文字を図案化し、組み合わせたものを校章としている。
校歌
作詞は中原勇夫、作曲は富永定による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「北方小学校」が登場する。
校区
「武雄市北方町全域」。中学校区は武雄市立北方中学校[1]

沿革

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前史(就正小学校)
  • 1872年(明治5年)- 学制の頒布により、「大崎小学校」(聖恩寺東側)が創立。
  • 1873年(明治6年)- 大崎小学校が聖恩寺西谷に移転の上、「就正小学校」に改称。
  • 1887年(明治20年)- 小学校令の施行により、「尋常就正小学校」に改称。
  • 1890年(明治23年)- 天徳寺の麓に白仁田分教場を設置。
  • 1891年(明治24年)- 杉岳分教場を設置。
  • 1892年(明治25年)- 「就正尋常小学校」に改称。
  • 1895年(明治28年)- 白仁田分教場を杉谷分教場に統合。字百堂に校舎を新設。
前史(新橋小学校)
  • 1872年(明治5年)- 学制の頒布により、「志久小学校」(杉岡神社境内)と「芦原小学校」(芦原天神馬場)の2校が創立される。
  • 1873年(明治6年)- 志久小学校が「乙亥小学校」に改称。
  • 実施年月日不明 - 「志久小学校」に改称。
  • 1881年(明治14年)- 志久小学校と芦原小学校が統合の上、「北方村橋下村組合立 錦江小学校」となる。新橋の官舎跡を校舎に活用。
  • 1887年(明治20年)- 小学校令の施行により、「尋常錦江小学校」に改称。
  • 1892年(明治25年)- 「新橋尋常小学校」に改称。北方村橋下村組合立新橋高等小学校が併設される。
旧・北方小学校
  • 1896年(明治29年)- 就正と新橋の尋常小学校2校を統合の上、「北方尋常小学校」に改称。芦原地区の児童が橋下尋常小学校へ転出。
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 高等科を併置の上、「北方尋常高等小学校」に改称。改正小学校令により、尋常科の修業年限(義務教育年限)を4年から6年に延長し、高等科の修業年限を2年とする。(北方村橋下村組合立新橋高等小学校は廃止される。)
  • 1915年大正4年)- 北方村農業補習学校が併設される。
  • 1926年(大正15年)- 併設の農業補習学校が青年訓練所充当となる。
  • 1927年(昭和2年)- 併設の農業補習学校が北方村公民学校に改称。
  • 1933年(明治8年)- 新校歌を制定。作詞は副島松一、作曲は川本久雄による。歌詞は3番まであった。
  • 1935年(昭和10年)- 青年学校令の施行により、併設の公民学校が北方村青年学校に改称。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「北方国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1944年(昭和19年)4月29日 - 北方村が町制施行で北方町となる。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる。
  • 1956年(昭和31年)
    • 4月1日 - 橋下小学校を統合の上、橋下分校とする[2]
    • 9月1日 - 橋下分校が分離の上、北方町立北方東小学校として独立[2]
  • 1961年(昭和36年)4月 - 椛島橋の架橋により、北方東小学校へ焼米地区の児童が転出。
  • 1972年(昭和47年)6月11日 - 火災が発生し、木造2階建て校舎2棟と木造平屋建て校舎1棟が全焼。
  • 1974年(昭和49年)3月31日 - 北方東小学校との統合により閉校。跡地は現在、北方スポーツセンター・北方運動公園となっている。
旧・北方東小学校
  • 1873年(明治6年)- 大渡村に「池永小学校」と「岡崎小学校」が設置される。
  • 1883年(明治16年)- 池永小学校と岡崎小学校の2校が統合され、「大渡小学校」が設置される。
  • 1887年(明治20年)- 小学校令の施行により、「尋常大渡小学校」に改称。
  • 1892年(明治25年)- 「大渡尋常小学校」に改称。
  • 1896年(明治29年)- 「橋下尋常小学校」に改称。北方尋常小学校から芦原地区の児童が転入。
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 高等科を併置の上、「橋下尋常高等小学校」に改称。改正小学校令により、尋常科の修業年限(義務教育年限)を4年から6年に延長し、高等科の修業年限を2年とする。(北方村橋下村組合立新橋高等小学校は廃止される。)
  • 1915年(大正4年)- 橋下村農業補習学校が併設される。
  • 1926年(大正15年)- 併設の農業補習学校が青年訓練所充当となる。
  • 1927年(昭和2年)- 併設の農業補習学校が橋下村公民学校に改称。
  • 1935年(昭和10年)- 青年学校令の施行により、併設の公民学校が橋下村青年学校に改称。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「橋下国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる。
    • 橋下国民学校初等科(6年制)は「橋下村立橋下小学校」に改組される。
    • 橋下国民学校高等科(2~3年制)と青年学校普通科は新制中学校「橋下村立橋下中学校」に改組される。
橋下小学校(北方東小学校)跡地
  • 1956年(昭和31年)
    • 3月31日 - 橋下中学校が北方町立北方中学校に統合されたことにより、併設を解消。
    • 4月1日 - 橋下村の一部が北方町に編入されたため、北方小学校への統合により「北方町立北方小学校 橋下分校」となる[2]
      • 通学区域 - 旧・橋下村の芦原、医王寺、大渡の一部(蔵堂)地区
      • その他の地区(大渡の喜佐木・鳥巣・岡崎・下蓑具)は白石町に編入され、白石町立須古小学校に通学することとなった。
    • 9月1日 - 北方小学校より分離し、「北方町立北方東小学校」として独立[2]
  • 1961年(昭和36年)4月 - 椛島橋の架橋により、北方小学校から焼米地区の児童が転入。
  • 1974年(昭和49年)3月31日 - 北方小学校との統合により閉校。跡地は北方東グラウンド・北方東体育館敷地となっている。
統合・北方小学校
  • 1974年(昭和49年)4月1日 - 上記2校を統合の上、「北方町立北方小学校」が開校。現在地に新校舎が完成し、移転を完了。
  • 1975年(昭和50年)- 新校歌を制定。
  • 1997年(平成9年)4月1日 - 杉岳分校を休校とする。
  • 2004年(平成16年)8月31日 - 杉岳分校を廃止。
    • 杉岳分校 最終所在地 - 杵島郡北方町大字大崎5776番地6
    • 廃止後はしばらく「コミュニティ百堂」として使用されていたが、2021年(令和3年)に解体され、現在は更地となっている。
  • 2006年(平成18年)3月1日 - 武雄市との合併により、「武雄市立北方小学校」(現校名)に改称。
  • 2013年(平成25年)- 体育館の大規模改造工事が完了。
  • 2015年(平成27年)- 管理棟の大規模改造工事が完了。
  • 2018年(平成30年)- 教室棟の大規模改造工事が完了。

交通

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最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停留所
最寄りの幹線道路

周辺

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  • 北方学校給食センター
  • 北方グラウンド
  • 北方保健センター
  • 武雄市子育て総合支援センター
  • 杵藤地区広域市町村圏組合事務局(旧・武雄市役所北方支所)

脚注

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  1. ^ 武雄市立小中学校通学区域一覧 - 武雄市ウェブサイト
  2. ^ a b c d 「北方町史 中巻」(北方町史編さん事務局, 1987年(昭和462年)3月)p.240

参考資料

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  • 「北方町史 下巻」(北方町史編さん事務局, 1987年(昭和462年)3月)p.263~

関連項目

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外部リンク

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