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武田尾温泉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
武田尾焼から転送)
武田尾温泉
地図
地図
温泉情報
所在地 兵庫県西宮市宝塚市
座標 北緯34度51分16.1秒 東経135度18分4.2秒 / 北緯34.854472度 東経135.301167度 / 34.854472; 135.301167座標: 北緯34度51分16.1秒 東経135度18分4.2秒 / 北緯34.854472度 東経135.301167度 / 34.854472; 135.301167
交通 鉄道:JR福知山線武田尾駅下車
泉質 単純温泉
泉温(摂氏 25.3 
宿泊施設数 1
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武庫川と武田尾橋
かつての西宮市側の温泉街、これらは現在は営業しておらず、マルキ旅館は建物も撤去されている。

武田尾温泉(たけだおおんせん)は、兵庫県西宮市[注釈 1]宝塚市に湧出する温泉である。関西の「奥座敷」とも称される。

泉質

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25.3 ℃の単純温泉が湧出している[注釈 2]

温泉地

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六甲山地を流れる武庫川が侵食したV字谷に面した場所に温泉が湧出している。温泉地の名物として、武庫川に架けられた吊り橋の武田尾橋が挙げられる。武庫川の対岸には馳渡山 (かけわたりやま)がある。

温泉施設

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2012年時点では武庫川左岸の宝塚市側に1軒・右岸の西宮市側に3軒の旅館が有ったものの、2024年4現在宿泊可能なのは宝塚市側の紅葉館別庭あざれ[注釈 3]のみである。西宮市側の3軒のうち、河鹿荘は廃業し、マルキ旅館は武庫川の堤防工事のため2015年11月27日以降は休業中で、敷地は更地となったままであり[1][注釈 4]、残る元湯は宿泊不可で日帰り温泉および昼食のみ営業中である。このため、現在は実質上一軒宿の温泉地と言える。

アクセス

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歴史

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1641年寛永18年)に、豊臣方の落ち武者であった武田尾直蔵が発見した湯と伝えられており[2]、薪拾いの際であったとされる。なお、地名も彼の姓から来ている。

水上勉の小説『櫻守』の舞台であり[3]山崎豊子の小説『晴着』の舞台でもある。

武田尾焼

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明治時代末期から大正時代にかけて、武田尾温泉紅葉館(JR宝塚線武田尾駅下車西へ約600メートル)で「武田尾焼」という焼物が焼かれていた。

三田焼の陶工である芝虎山亀井竹亭らが当時の紅葉楼(現:紅葉館)の主に招かれ敷地内の窯渓荘陶房にて製作活動をした。主に陶器および楽焼など味のある物を造ったが永続せずに数年で消窯した。銘に武田尾焼.竹亭などがある。現存数の少ない幻の焼物とされる。

脚注

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注釈

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  1. ^ ただし西宮市街地から自動車及び自転車等にて訪れる場合は、宝塚市を経由する必要がある。
  2. ^ 日本の温泉法では、25 ℃以上で湧出していれば、温泉と定義されている。
  3. ^ 2004年の台風23号で被災し休業したものの、2008年に新築して再開した。
  4. ^ なお、記事内では「工事が終わるまで3年間閉館」とあるが、堤防工事が終了したあとも再建工事は始まっておらず、公式ホームページも閉鎖された。

出典

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  1. ^ 118年の歴史を持つ武田尾温泉「マルキ旅館」が一時閉館へ”. アイデアニュース. 2019年7月7日閲覧。
  2. ^ 中村 圭志 『目的別AG・ビッグフットWEST いで湯の山旅 (関西周辺)』 p.22 山と渓谷社 1996年5月10日発行 ISBN 4-635-00486-4
  3. ^ 阪神駅前情話【JR・武田尾】変化の兆し待つ奥座敷」『神戸新聞』2016年1月1日。オリジナルの2016年1月11日時点におけるアーカイブ。2016年3月13日閲覧。

参考文献

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  • 『兵庫の鉄道全駅 JR・三セク』神戸新聞総合出版センター、2011年12月15日、107頁。ISBN 9784343006028 

ギャラリー

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外部リンク

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