武内神社 (渋川市)
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武内神社 | |
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所在地 | 群馬県渋川市祖母島499 |
位置 | 北緯36度32分30.5秒 東経138度57分04.6秒 / 北緯36.541806度 東経138.951278度座標: 北緯36度32分30.5秒 東経138度57分04.6秒 / 北緯36.541806度 東経138.951278度 |
主祭神 | 武内宿禰命 |
社格等 |
式内社(小)論社 旧村社 |
創建 | 文安元年(1444年)9月21日 |
本殿の様式 | 流造 |
別名 | 宿祢大明神 |
例祭 |
4月3日 10月9日 |
地図 |
武内神社(たけうちじんじゃ)は、吾妻川沿いの群馬県渋川市祖母島にある神社。祭神は建内宿禰命。上野国群馬郡の式内小社。旧社格は村社[1]。
祭神
[編集]由緒
[編集]文安元年(1444年)9月21日に川島の甲波宿禰神社より分社したことが始まりとされている[1][2]。
宝永5年(1708年)の宗源宣旨に「正一位宿祢大明神」とあるように、江戸時代までは「宿祢神社」とされていた。明治2年(1869年)に「武内神社」と改称した[2]。鳥居の扁額には、「正一位宿禰大明神」とある。
尾崎喜左雄は武内神社=宿祢神社が元は甲波宿禰神社であったとする。「甲波」を川、「宿禰」を「直根」として「川の本流」を意味する社名と解し、吾妻川沿いの箱島・祖母島・川島と「島」のつく地に3社が並んでいたことから、吾妻川を神格化したものと説明している[4]。
本殿の昇勾欄の擬宝珠に宝永8年(1711年)の線刻があることから、同年が建造年とされている[2]。
社殿は祖母塚(うばづか)と呼ばれる高台の上に位置する[2]。前方後円墳であるとの見方もあったが、自然の丘陵である[5]。当地には日本武尊の妻・上妻姫とその子の住んだ地であるとの伝承があり、祖母塚は上妻姫の墓であり、祖母島の地名の由来となったという[6]。
境内
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一の鳥居
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一の鳥居の扁額
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二の鳥居
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二の鳥居の扁額
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社殿
祭事
[編集]交通
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 群馬県群馬郡教育会 1925, p. 587.
- ^ a b c d e f 渋川市市誌編さん委員会 1993, pp. 883–884.
- ^ a b c d e 渋川市市誌編さん委員会 1986, p. 542.
- ^ 尾崎, 喜左雄『上野国神名帳の研究』尾崎先生著書刊行会、1974年12月10日、210-212頁。doi:10.11501/12266236。(要登録)
- ^ 渋川市市誌編さん委員会 1993, p. 117.
- ^ 渋川市市誌編さん委員会 1984, p. 903.
参考文献
[編集]- 群馬県群馬郡教育会『群馬県群馬郡誌』群馬県群馬郡教育会、1925年10月20日。doi:10.11501/1020918。
- 渋川市市誌編さん委員会 編『渋川市誌』 第2巻 通史編・上 原始~近世、渋川市、1993年3月31日。doi:10.11501/9644681。(要登録)
- 渋川市市誌編さん委員会 編『渋川市誌』 第4巻 民俗編、渋川市、1984年10月1日。doi:10.11501/9643284。(要登録)