コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

桜井奎夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
櫻井奎夫から転送)

桜井 奎夫(櫻井、さくらい けいお、1907年明治40年)10月20日[1] - 1991年平成3年)12月23日[2])は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家衆議院議員

経歴

[編集]

長崎県[注 1]南高来郡、現在の島原市出身[2]。1932年(昭和7年)早稲田大学文学部英文科を卒業[2][3]

新潟県立相川高等学校[注 2]教諭、新潟県立巻高等学校教諭、新潟県立新潟南高等学校教諭などを務めた[3]。労働運動に加わり、新潟県教職員組合執行委員長、新潟県全官公庁労働組合協議会長[3]、日教組北陸協議会会長[1]に就任。

1952年(昭和27年)10月の第25回衆議院議員総選挙新潟県第1区から左派社会党公認で出馬して落選[4]。1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙に出馬して初当選し[5]、以後1958年(昭和33年)5月の第28回総選挙まで再選され[5]、衆議院議員に連続3期在任した[2][3]。この間、離島振興対策審議会委員、日本社会党新潟市支部長、同新潟県連顧問、同学生対策副部長、同政策審議会文教部長、同科学技術特別委員会副委員長、同地盤沈下対策特別委員会事務局長などを務めた[3]。その後、第30回総選挙まで連続2回立候補したがいずれも次点で落選した[6]

その他、社会党新潟県本部執行委員長(1961年-1965年)[2]、中央労働災害防止協会理事[3]を務めた。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』294頁では新潟県出身。
  2. ^ 2016年閉校。

出典

[編集]
  1. ^ a b 『日本人事録 第6版』全国篇、434頁。
  2. ^ a b c d e 『現代物故者事典 1991~1993』274頁。
  3. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』294頁。
  4. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』169頁。
  5. ^ a b 『国政選挙総覧 1947-2016』170頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』171頁。

参考文献

[編集]
  • 『日本人事録 第6版』全国篇、中央探偵社、1963年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『現代物故者事典 1991~1993』日外アソシエーツ株式会社、1994年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。