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吉川大介

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吉川大介

吉川 大介(よしかわ だいすけ、1892年明治25年)9月21日[1] - 1954年昭和29年[注釈 1])7月1日[2])は、大正から昭和期の実業家政治家衆議院議員。旧姓・竹田。

経歴

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新潟県[2][3]新潟市で竹田三代吉の息子として生まれ、吉川フジの養子となる[4][5][6]。1914年(大正3年)家督を相続した[5]旧制中学校を経て[4]早稲田大学で学んだ[2]

新潟日曜新聞社長、新潟毎夕新聞社長、新潟労務供給専務取締役、新潟労務協会常務理事、新潟市燃料小売商業組合理事長、新潟県労務報国会長、同野球連盟会長などを務めた[2][3][4][5][6]

政界では、新潟市会議員、同参事会員、同副議長、新潟県会議員、同参事会員を務めた[2][3][4][5][6]。1942年(昭和17年)4月、第21回衆議院議員総選挙に新潟県第1区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬して当選した[2][3]。この間、商工省委員、農商省委員、翼政会政調文部・逓信兼務委員などを務めた[2][3]。戦後に公職追放となった[7]

追放解除後、1952年(昭和27年)10月、第25回総選挙新潟県第1区から改進党公認で出馬して再選[8]第26回総選挙では落選し[9]、衆議院議員に通算2期在任した[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『越佐人物誌 中巻』1023頁では昭和28年。

出典

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  1. ^ 衆議院『第八十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1942年、8頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』705頁。
  3. ^ a b c d e 『翼賛議員銘鑑』454頁。
  4. ^ a b c d 『越・佐傑人譜 昭和14年度版』よ5頁。
  5. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 下』ヨ29頁。
  6. ^ a b c 『越佐人物誌 中巻』1023頁。
  7. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿771頁。公職追放の該当事項は「新潟東亜連盟協会理事推薦議員」。
  8. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』169頁。
  9. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』170頁。

参考文献

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  • 日本風土民族協会編『越・佐傑人譜 昭和14年度版』日本風土民族協会、1938年。
  • 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 牧田利平編『越佐人物誌 中巻』野島出版、1972年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。