橋本篤郎
熊本赤十字病院野球部 | |
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巨人時代 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 熊本県葦北郡芦北町 |
生年月日 | 1998年2月24日(26歳) |
身長 体重 |
178 cm 84 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2015年 育成選手ドラフト6位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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橋本 篤郎(はしもと あつろう、1998年2月24日 - )は、熊本県葦北郡芦北町出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。プロでは育成選手であった。
登録名と表記は2015年12月23日までは、山下 篤郎(やました あつろう)であったが、同日以降は本人の申し出により橋本 篤郎(はしもと あつろう)と変更された[1]。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]鎮西高等学校では2年春から一塁手兼投手として活躍[2]。同校は第86回選抜高等学校野球大会に出場するも、自身はインフルエンザにより登録選手に選ばれなかった[3]。3年次はエース、4番打者、野球部主将を務めた[2]。
2015年10月22日に行われたプロ野球ドラフト会議において、読売ジャイアンツから育成選手ドラフト6巡目で指名され入団した[4]。
巨人時代
[編集]2016年と2017年は主に三軍でのプレーし、二軍公式戦(イースタン・リーグ)での登板はなかった。
2018年は二軍公式戦1試合に登板し、0勝0敗、防御率2.25という成績だった[5]。また三軍戦13試合に登板し、5勝3敗、防御率1.20という成績だった[6]。10月31日に育成選手契約の規定により自由契約公示[7]されたが、育成選手として再契約を行った。
2019年は二軍公式戦4試合に登板し、0勝0敗、防御率3.18という成績だった[8]。また三軍戦13試合に登板し、3勝2敗、防御率2.33という成績だった[9]。10月31日に育成選手契約の規定により自由契約公示[10]されたが、育成選手として再契約を行った。
2020年は二軍公式戦での登板はなく、三軍戦の登板も1試合に終わった[11]。11月2日、戦力外通告が公示された[12]。
現役引退後
[編集]巨人退団後は熊本赤十字病院の軟式野球部で内野手としてプレーを続けている[13]。
選手としての特徴
[編集]最速144km/hの速球と落差の大きいカーブが特徴の左腕[4]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 020(2016年 - 2020年)
脚注
[編集]- ^ “新背番号のお知らせ”. 読売巨人軍公式サイト (2015年12月13日). 2016年5月21日閲覧。
- ^ a b “ドラフト会議 阪神3位に竹安投手 山下投手は巨人育成枠 /熊本”. 毎日新聞. (2015年10月23日) 2016年5月21日閲覧。
- ^ “鎮西、文徳に千羽鶴託す”. 西日本新聞. (2015年7月24日) 2016年5月21日閲覧。
- ^ a b “育成ドラフトでも8選手”. 読売巨人軍公式サイト (2015年10月22日). 2016年5月21日閲覧。
- ^ “2018年度 読売ジャイアンツ 個人投手成績(イースタン・リーグ)”. NPB.jp 日本野球機構. 2022年3月5日閲覧。
- ^ “2018年 三軍投手成績(シーズン)”. 読売巨人軍公式サイト. 2022年3月5日閲覧。
- ^ “自由契約選手(育成選手)|2018年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2018年10月31日). 2018年11月4日閲覧。
- ^ “2019年度 読売ジャイアンツ 個人投手成績(イースタン・リーグ)”. NPB.jp 日本野球機構. 2022年3月5日閲覧。
- ^ “2019年 三軍投手成績(シーズン)”. 読売巨人軍公式サイト. 2022年3月5日閲覧。
- ^ “自由契約選手(育成選手)|2019年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2019年10月31日). 2022年3月5日閲覧。
- ^ “2020年 三軍投手成績(シーズン)”. 読売巨人軍公式サイト. 2022年3月5日閲覧。
- ^ "来季の契約について". 公式サイト. 読売ジャイアンツ. 2 November 2020. 2020年11月2日閲覧。
- ^ “第76回全日本軟式野球・熊本 熊本赤十字病院(出場6回目)”. スポニチプラス. 2022年2月2日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)