樺岡駅
樺岡駅 | |
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かばおか Kabaoka | |
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所在地 | 北海道稚内市大字声問村字樺岡 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 天北線 |
キロ程 | 127.2 km(音威子府起点) |
電報略号 | カハ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1922年(大正11年)11月1日[1] |
廃止年月日 | 1989年(平成元年)5月1日[1] |
備考 | 天北線廃線に伴い廃駅 |
樺岡駅(かばおかえき)は、かつて北海道(宗谷支庁)稚内市大字声問村字樺岡に存在した、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はカハ。事務管理コードは▲121917[3]。
歴史
[編集]- 1922年(大正11年)11月1日 - 鉄道省宗谷本線、鬼志別駅 - 稚内駅(後の南稚内駅)間延伸開通(宗谷本線全通)に伴い開業[4][5]。一般駅[5]。
- 1930年(昭和5年)4月1日 - 音威子府駅 - 稚内駅間を宗谷本線から削除し路線名を北見線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1953年(昭和28年)度:前年度まで無電燈駅であったが、同年度に電燈駅化[6]。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 路線名を天北線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1973年(昭和48年)9月17日 - 貨物・荷物の取り扱いを廃止[7]。同時に出札・改札業務を停止し、旅客業務については無人[8](簡易委託)化。但し、閉塞扱いの運転要員は継続配置。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 交換設備撤去。同時に閉塞扱いを廃止し、完全無人化。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]。
- 1989年(平成元年)5月1日 - 天北線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
[編集]1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』では単に「付近一帯に、カバが繁茂しているため[9]」の和名による命名としているが、同書の前身にあたる『駅名の起源』(鉄道省札幌鉄道局編、1939年版)では「アイヌ語『タツ、ニナラ、ウシナイ』から出たもので(樺の高原なる川)の意である[10]」としている。
この「タツ、ニナラ、ウシナイ」、すなわち「タッニナルㇱナイ(tat-ninar-us-nay)」(樺の・岡に・ある・川)は声問川上流の支流名タツニウシナイ川の語源の一つとされている[11]。なおタツニウシナイの語源はこのほか「タッニウㇱナイ(tatni-us-nay)」(樺の木・群生する・川)からとする説もある[11]。
駅構造
[編集]廃止時点で、1面1線の単式ホームと線路を有する地上駅であった。かつては、2面2線の相対式ホームと線路を有する列車交換可能な交換駅であった。当時は、互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向側ホーム北側を結んだ構内踏切で連絡していた[12]。駅舎側(東側)ホームが上りの1番線、対向側ホームが下りの2番線となっていた[12]。そのほか、2番線の南稚内方から対向側ホーム手前まで分岐した行き止まりの側線を1線有していた[12]。
無人駅(簡易委託駅)となっており、有人駅時代の木造駅舎が残っていた。駅舎は構内の東側に位置し、ホーム中央部に接していた。1983年(昭和58年)時点のホームには500本のルピナス(上り藤)を植えた花壇があり、8月には一斉に花を咲かせた[12]。
利用状況
[編集]乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
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年間 | 1日平均 | |||
1935年(昭和10年) | 6.630 | (18.1) | [13] | |
1949年(昭和24年) | 17,611 | (48.2) | ||
1968年(昭和43年) | 17,410 | (46.7) | [14] | |
1970年(昭和45年) | 15,791 | (43.3) | ||
1978年(昭和53年) | 18 | [15] | ||
1981年(昭和56年) | 不明 | [16] | 稚内へ向かう高校生及び通勤者数名と、病院へ向かう老人が時々利用する程度であったとされる[16] |
駅周辺
[編集]広大な酪農地帯が広がっていたが、離農が進み、限界集落地域である。旧駅前周辺は廃校になった樺岡小中学校跡とバス停のみとなっている。
- 北海道道121号稚内幌延線
- 声問川
- 宗谷バス「樺岡」停留所
駅跡
[編集]2011年(平成23年)時点では、当駅の跡地に本物の駅名標が残存している[17]。但し、駅跡とは逆側に設置されている模様[17]。この駅名標は道路に移設され、樺岡の天北線バス停留所に設置されている。現在、当駅の跡地一帯は原野になっている。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、907頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 1967年撮影航空写真(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)この時点でも貨物の姿が見えないが、さらに1947年撮影の写真でも見えない。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、241頁。doi:10.11501/1873236 。2023年2月11日閲覧。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、188-189頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ a b 内閣印刷局, ed (1922-10-27). “鉄道省告示 第144号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (3013) .
- ^ 北海道新聞社 編『北海道年鑑 1954年版』北海道新聞社、1953年10月15日、198頁。doi:10.11501/2980303 。
- ^ “日本国有鉄道公示第148号”. 官報. (1972年9月14日)
- ^ 「通報 ●天北線上音威子府駅ほか11駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1973年9月14日、4面。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、189頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、86-87頁。NDLJP:1029473。
- ^ a b 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日、163頁。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ a b c d 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)191ページより。
- ^ 稚内市史編纂室 編『稚内市史』 1巻、稚内市、1968年、1005頁。doi:10.11501/3448729 。2022年8月11日閲覧。
- ^ 稚内市史編纂室 編『稚内市史』 2巻、稚内市、1999年、729頁。doi:10.11501/9490970 。2022年8月11日閲覧。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、895頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ a b 宮脇俊三 著、原田勝正 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』小学館、1983年7月、191頁。ISBN 4093951012。
- ^ a b 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)251ページより。