横田綾二
横田 綾二(よこた りょうじ、1927年(昭和2年)7月14日[1] - 2017年(平成29年)6月17日[1])は、日本共産党岩手県議会議員(6期)。盛岡市議会議員(1期)。
経歴
[編集]岩手県岩手郡米内村(現在の盛岡市)に無産運動家の横田忠夫とチエ(のち岩手県議)の子に生まれる[2]。一家はその後、盛岡市に移る[2]。盛岡市立仁王小学校を経て、旧制盛岡中学(現在の岩手県立盛岡第一高等学校)に入る[2]。在学中に父忠夫が死去する。盛岡中学を3年で中退[2]。仙台市にある私立南光学園東北中学校(現在の東北高等学校)に編入し、同校を卒業する[3]。卒業後は仙台工業専門学校(現在の東北大学工学部)に入る[3]。在学中は日本社会党に入り、同校生徒自治会総合委員長[4]、社会党宮城県連常任書記となる[4]。卒業後は帰郷し、盛岡市立仁王中学校教諭となる[4]。この間、社会党を離党し、日本共産党に入党する。1950年(昭和25年)レッドパージにより、教職を追われ[3]、追放解除後も教職に復帰することはなかった。その後は日本林産化学工業工場長、日中友好協会岩手県支部事務局長となる(のち全国理事)[4]。
1967年(昭和42年)盛岡市議会議員選挙に共産党公認で立候補し、当選する[3][4][5]。市議を1期務め、1971年(昭和46年)岩手県議会議員選挙に共産党から立候補し、トップ当選する[3][4][6]。同年、母チエは県議を引退したが、所属政党が異なるためか(チエは日本社会党所属)「後継者」「世襲」とは見られなかった。以後、県議を6期務める。1995年(平成7年)に議員を引退した。同年の盛岡市議選で元テレビ岩手アナウンサーで娘の高橋比奈子が無所属で立候補し、トップで当選した[7]。
親族
[編集]- 娘、高橋比奈子 - 元盛岡市議会議員、元岩手県議会議員、元自由民主党衆議院議員
- 孫、高橋康介 - 比奈子の息子、岩手県議会議員(自由民主党)
- 祖父、横田豊蔵 - 米内村会議員[8]
- 叔父、横田義重 - 忠夫の弟、盛岡市会議員
脚注
[編集]著書
[編集]- 『盛岡中学アウトロー物語』熊谷印刷出版部、2003年。
- 『岩手県議会議員会館 夢物語』熊谷印刷出版部、2005年。