横山隆興
横山 隆興(よこやま たかおき、1848年6月15日(嘉永元年5月15日)[1] - 1916年(大正5年)4月11日[2])は、日本の武士(金沢藩士)、実業家。加州銀行頭取[2]。横山鉱業部代表社員[1]、同顧問[3]。金沢商業会議所特別議員[1][3]。金沢電気瓦斯取締役[1][3]。族籍は石川県士族[1][3]。
人物
[編集]加賀国金沢(現・石川県金沢市)出身。加賀金沢藩で加賀八家と称された家老職などを務める年寄衆(人持組頭)8家の一つ、3万石を知行する横山氏嫡流の当主であった横山遠江守隆章の三男[2]として江戸期末に生まれ、後に1869年に分家する[1]。明倫堂で和漢の学を修める[1]。大阪開成学校に学ぶ[1]。明治後期に男爵位を授爵した隆平の弟であり、その子である隆俊の叔父[1][3]にあたる。彼らを含む一族の多くがかかわって鉱業経営に従事する[1]。その中で隆興が最も力を注いだのが、石川県南部にある尾小屋鉱山の経営だった。隆興は西洋の最新式の製法を取り入れるなど、積極的に事業を展開する。更に新たな銅の鉱脈を掘り当て、鉱山を拡大し最盛期には1700人の鉱夫を抱える[4]。鉱業にとどまらず、加州銀行頭取、金沢電気瓦斯取締役を務めるなど[2]、大正5年に没するまで金沢を代表する実業家の一人として活躍した[5] [6]。住所は石川県金沢市高岡町[1]、同市上柿木畠[3]。別邸として、金沢市内寺町近くの犀川沿いの崖地に金沢別邸(その一部は現・「辻家庭園(旧横山家迎賓館)」及び金茶寮)、京都・南禅寺に京都別邸「智水庵」を営んだ[7]。金沢別邸の豪奢な様子は徳田秋声の自伝的短編作「菊見」に描写されている。墓所は野田山墓地。
家族・親族
[編集]- 横山家
- 妻・多満(1857年 - ?)[1]
- 男・章[1](1874年 - 1938年、鉱業、石川県多額納税者、資産家、衆議院議員、貴族院議員)
- 二男・俊二郎(1880年 - ?)[1]
- 三男・芳松(1882年 - ?)[1]
- 四男・登(1887年 - ?)[1]
- 孫[1]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『人事興信録 第4版』よ13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年5月19日閲覧。
- ^ a b c d 横山 隆興とはコトバンク。2019年5月19日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第3版』よ23頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年5月19日閲覧。
- ^ NHK教育テレビ 日本 映像の20世紀「石川県」
- ^ 辻興産(株)・辻商事(株)取締役会長 辻卓氏『“忘却の豪傑・横山隆興”~尾小屋鉱山の残照~』(金沢西ロータリークラブwebサイト掲載)
- ^ (株)辻家庭園保存会代表取締役 辻卓氏(金沢西RC会員)『文化都市金沢と横山隆興』(金沢西ロータリークラブwebサイト)掲載
- ^ ZOZO前澤社長、京都“幻の別荘”購入 旦那衆からは不安の声(週刊新潮 2018年11月29日号掲載)隆興・章や隆俊ら横山一族による財閥経営が破綻した大正期以降、所有者は転々(参考:横山鉱業部への大口融資を巡る加州銀行と日本生命の交渉─「北陸の鉱山王」横山家のクラウン-ジュエル(crown jewel)争奪劇を中心に─)としたようであるが、前澤友作氏が購入したとの報道あり。2021年4月5日閲覧
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903-1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。