横山章
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横山 章(よこやま あきら、1874年(明治7年)1月13日[1] - 1938年(昭和13年)4月14日[2])は、日本の政治家・衆議院議員(公友倶楽部)[3]、貴族院議員[4][5]、石川県多額納税者[5]、資産家[6]、実業家。温泉電軌、横山鉱業部[3]、ボルネオ護謨各社長[5]。共同生命保険[5]、金沢電気瓦斯各取締役[7]。尾小屋鉱山監査役[5]。金沢倉庫相談役[4]。金沢商業会議所会頭[3][4][7]。族籍は石川県士族[1][4][5]。
人物
[編集]加賀八家横山氏一門で、石川県士族の横山隆興(11代当主横山隆章三男)の長男[1][5]。金沢市生まれ[3]。1895年、東京物理学校を卒業[1][5]。以来専ら自家経営の鉱業に従事し、1906年、満韓巡遊の途に上り親しく鉱業を視察する[1][5]。1916年8月、勲四等に叙し、瑞宝章を賜り、翌月金沢高等工業学校設立費として金10万円を寄付した[7]。同年家督を相続[5]。
1915年の総選挙に際し、金沢市より推されて衆議院議員に当選した[4]。石川県多額納税者で、直接国税4326円を納め、1918年6月、貴族院議員に互選され[5]、同年9月29日から[8]1932年(昭和7年)9月28日まで2期在任[2]。趣味は多種多様だが、謡曲、乗馬は最も得意とする所であった[7]。住所は石川県金沢市高岡町[6]、同市上柿木畠、東京市外大久保町西大久保[5]。
家族・親族
[編集]- 横山家
- 父・隆興(1848年 - 1916年、石川士族[1][5]、横山鉱業部代表社員)
- 妻・こと(1880年 - ?、石川士族、加藤里路の三女)[5]
- 男・隆倫(1900年 - ?)[1]
- 長女・和子(1899年 - ?、公爵・二条弼基の従兄・邦基の妻)[5]
- 女・幾子(1903年 - ?)[5]
- 親戚
邸宅
[編集]1912年(大正元年)に金沢市高岡町の自邸内に接客用に設けた屋敷の一部は、1921年(大正10年)に建物の一部が加賀市山中温泉下谷町に移築され 、無限庵御殿として石川県指定有形文化財になっている[9][10]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第4版』よ15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年5月18日閲覧。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』702頁。
- ^ a b c d 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』156頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年5月18日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第5版』よ20-21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年5月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『人事興信録 第9版』ヨ14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年5月18日閲覧。
- ^ a b 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年5月18日閲覧。
- ^ a b c d 『大正人名辞典』494頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年5月20日閲覧。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、28頁。
- ^ “第1章 加賀市歴史的風致形成の背景”. 加賀市. 2023年4月20日閲覧。
- ^ “山中温泉・無限庵を憩いの場に、21日カフェ開業 石川県指定文化財、加賀八家ゆかりの書院”. 北國新聞 (2023年4月15日). 2023年4月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。