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横山ホットブラザーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
横山よこやまホットブラザーズ
メンバー 横山アキラ
横山マコト
横山セツオ
事務所 松竹芸能ケーエープロダクション
吉本興業(業務提携、2011年より)
活動時期 1936年 - (横山ホットブラザーズとしては1952年 - )2020年
出会い 実兄弟
旧グループ名 横山トーロクショウ
横山トニー一党
横山ファミリーショウ
現在の活動状況 テレビ・ラジオなど
芸種 音曲漫才ボーイズ
受賞歴
1971年 第6回上方漫才大賞奨励賞
1985年 第9回日本パロディ展優秀賞
1991年 第20回上方お笑い大賞審査員特別賞
1994年 第29回上方漫才大賞審査員特別賞
1996年 平成8年度第51回文化庁芸術祭大賞
2003年 第38回上方漫才大賞
2009年 上方演芸の殿堂入り
2017年 大阪市における無形文化財指定
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横山ホットブラザーズ(よこやまホットブラザーズ)は、ケーエープロダクション所属(2011年より吉本興業と業務提携)の日本の音楽ショウグループ。元松竹芸能所属。「しゃべくり漫才」→「シチュエーションコント」が主流を占める中で、楽器を用いた音曲漫才ボーイズ物の伝統を守った、数少ないグループの一つ。

結成は戦前に遡り、戦後は戎橋松竹トップホットシアター道頓堀角座等をホームグラウンドに、キャバレー廻り等もした。定席やテレビ・ラジオ出演の他に、営業も数多くこなした。

メンバー

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横山姓は本名で、横山エンタツ横山ノックら漫才師の「横山」一門とは関係が無い。

家父・創始者の横山東六には7 - 8人の子があったが、長男と長女は幼くして病死している。他の子は殆どがメンバーに在籍した。

メンバー

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横山 アキラ(本名:横山 彰、1932年8月7日 - 2020年12月9日
長男、大阪府出身。ミュージックソーギター担当。
昨今ギターはほとんど叩いて音頭を取ったりする位で、きちんと弾くことは滅多にないが、 市川福治・かな江直伝の阿呆陀羅経などもこなす腕前を誇る。かつては進駐軍相手のジャズバンドに所属していた。のこぎりを叩く「お~ま~え~は~ア~ホ~か~」のギャグは有名である。
2020年12月9日午前8時、腎不全のため死去。88歳没[1]
横山 マコト(本名:横山 誠、1934年6月16日 - 2022年4月22日
次男、大阪府出身。アコーディオン担当。
かつては高級で音の良いアコーディオンを使用していたが、近年体力面からアキラのミュージックソー演奏中はアコーディオンを肩から下ろし、アコーディオンも小型軽量な物を使用している。いわゆる絶対音感の持ち主であり、音楽を聴きながら記譜ができるという。また作曲家として、学校の校歌や企業の社歌などを数多く手掛けている。毎朝の散歩を日課としていた[2]
妻は浪曲師松浦四郎の娘。
2022年4月22日、虚血性心疾患で死去。87歳没[3]
横山 セツオ(本名:横山 節雄、1946年4月3日 - )
三男、大阪府出身。エレキギター担当。
学生時代からバンド活動に参加。近畿大学を中退し1966年から加入。初舞台で緊張のあまりセリフに詰まっていると、長男から「おまえはしゃべらんでええ。そこにたっているだけでエエ。」というツッコミはお約束のフレーズとして続いた。

元メンバー

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横山 東六(本名:横山 登二、1906年 - 1980年11月6日
バイオリン担当。父親で創始者。
音楽学校卒の元楽士で、1928年に関西交響楽団(現在の大阪フィルハーモニー交響楽団の前身とは別団体)に入団。
1933年より陽気屋東六の名で音曲漫才に転向し、落語家出身の笑福亭福之助(後の鹿島洋々)とコンビを組み、新世界アシベ劇場で漫才初舞台。
1974年頃から健康上の理由で徐々に出番を減らし、1975年に引退。
小田 レイジ(当時は横山 レイジ)(本名:小田 栄正、1930年 - )
広島県呉出身。東六の弟子。途中から洋二に交代。
国鉄に勤務していたが芸界に憧れショウを自ら結成。後に妻と夫婦漫才を組む。
脱退後は吉本興業ザ・ダッシュに加入、ポケットミュージカルスでも活躍。その後は片山津温泉街で宴会の司会業をした。
横山 洋二(本名:上甲 元行、生没年不詳
東六の弟子。
父は永田キングの弟子の永田小キング、母は星ギン子・ララ子の星ギン子。
1974年にセツオと交代。何でも用事が済むようにとこの名が付いた。

略史

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  • 1936年 - 東六が妻の登志子、娘のセツコ、リュウコに弟子一門を従えて「横山トーロクショウ」を結成。当初はバンドスタイルの比較的真面目な歌謡ショウで、ボーカルやドラムもいた。「横山トニー一党」と称したこともある。
  • 1937年 - 次男マコトが加入。
  • 1944年 - 長男アキラが加入。戦後「横山ファミリーショウ」と改称。
  • 1952年 - 戎橋松竹出演に際し、男性ばかりのメンバー(東六、アキラ、マコト)では華がないと、女性ボーカルを招いて「横山ホットブラザーズ」と改称。
  • 1960年 - 弟子のレイジが加入。
  • 年代不明 - 弟子の洋二が加入。
  • 1966年 - 洋二と入れ替わりに、三男セツオが加入。
  • 1971年 - 第6回 上方漫才大賞 奨励賞受賞。
  • 1975年 - 東六が引退、兄弟トリオに。
  • 1985年 - 第9回 日本パロディ展 優秀賞受賞。
  • 1991年 - 第20回 上方お笑い大賞 審査員特別賞。
  • 1994年 - 第29回 上方漫才大賞 審査員特別賞受賞。
  • 1996年 - 平成8年度 第51回 文化庁芸術祭 大賞受賞。
  • 2003年 - 第38回 上方漫才大賞 大賞受賞。
  • 2009年 - 上方演芸の殿堂入り
  • 2011年3月 - ケーエープロダクション所属のまま、吉本興業と業務提携[4]
  • 2011年4月 - 43年ぶりに花月の通常公演に出演。以降NGKやよしもと祇園花月に出演。
  • 2017年6月9日大阪市無形文化財に指定されたことが発表される。上方漫才部門では夢路いとし・喜味こいしに次いで2例目の指定[5]
  • 2020年12月 - 長男アキラが死去。
  • 2022年4月 - 次男マコトが死去。

芸風

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  • テーマソングは父東六が参加していたころは「歌って笑ってリズムショー/楽しくふざけるリズムショー/陽気に愉快に仲良く奏でるホットブラザーズ〜♪」後に「(とかくこの世は朗らかに/笑う門には福が来る/歌う門にもちょいと福が来る)歌って笑ってホットブラザーズ〜♪」となっている。
  • 出だしは決まって、マコトの歌(殆ど「北酒場」だが、「無錫旅情」など別の歌を用いる場合もある)。アキラがそれに「ヤッコラマタ、ドッコイマタ」と頬を痙攣させつつ合いの手を入れ、次第にオーバーアクションになってマコトの歌を食ってしまい、マコトが「やかましわい!」とツッコんで中断する。
  • その後は、掛け合い~歌合戦系のネタと、楽器演奏系のネタに分かれる。
  • アキラ(ボケ)とマコト(ツッコミ)の漫才形式で進行し、セツオの絡みは少ない。セツオがツッ込んだ場合は、それにアキラとマコトがツッ込み、セツオがいじられて会話から弾き出されるパターンが多い。
  • 歌合戦系のネタの場合は、何かのテーマ(季節ネタや時事ネタ、地方巡業の場合はご当地ネタなど、演じる場に合わせる)に沿った歌を互いに出し合う形と、しりとり等のゲームで歌を繋いでいく形があり、この場合、マコトの仕切りでアキラとセツオが対戦、という役割分担になる。最初は普通にテーマに沿った歌を出し合うが、対戦が進むに連れいい加減な語呂合わせが増え、最終的に破綻するパターンが多い。
  • しりとり型の場合は、司会のマコトがセツオに優しく、アキラには難しくなるように仕切っていき、アキラが苦し紛れに出す歌にマコトがツッ込むパターンが定番。どちらもマコトのツッコミに、アキラがオチをつけて下げとなる。
  • 楽器演奏系の場合は、家財道具(後述)を使って珍妙かつ軽快な音を出し、客を感心させるボーイズ芸を見せる。

使用楽器

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使用中の楽器

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ミュージックソー(のこぎりの形をした楽器)
轟一蝶・美代子漫画トリオの初代横山フックの親)から、バイオリンを分解するネタとともに東六が教わり、息子のアキラに伝授した。のこぎりは一蝶がアメリカに行った際に買ってきたものを戦後譲り受けた。
西洋のこぎりから派生した、演奏専用に作られた楽器(演奏用ではなく、本物ののこぎりだったという指摘もある[6])。アキラはこれを弾かずに、打楽器用のマレットで叩いて音を出す。
音程と余韻の操作をしつつ、7拍叩いて「お〜ま〜え〜は〜ア〜ホ〜か〜」と聞かせるギャグと、マコトのアコーディオン、セツオのギター伴奏によって「荒城の月」「六甲おろし」「お正月」等を演奏する持ち芸がある。
特に「おまえはアホか」はアキラの代名詞になっており、他の追随を許さぬ第一人者になっている。
横山裕SUPER EIGHT)はアキラからこの芸を直伝された。
「おまえはアホか」を音階で表すと「ド♯ ド♯ ド♯ シ♭ ド♯ シ♭ ド♯」となる。
「おまえはアホか」を音声認識式のコンピュータに入力すると、何故か「米陸軍」と出る(『探偵!ナイトスクープ』の小ネタより)。
近年レパートリーに「世界に一つだけの花」が加わり、『笑っていいとも!』では香取慎吾の前で披露された。
小型のミュージックソーを使用する場合もある。
嘉門達夫のアルバム「天賦の才能」収録の「アカペラな夜」には、この「お~ま~え~は~ア~ホ~か~」の音源が曲中に収録されている。
ガラクタパーカッション
マコトが担当。
おもちゃの木琴を中央に、周りに左からうちわ太鼓ひしゃくちりとり、ホーン、小型のフライパン、などを装備したミニチュアのパーカッションセット。
小さいため台が必要だが、舞台には台がないので、アキラを座らせて肩と頭部に乗せて演奏する。この時アキラはクラリネットを吹く。
セツオのギター伴奏で「ドレミの歌」や「大阪ラプソディ」等を演奏する。
楽器演奏のネタの場合、多くはこれがオチネタにされ、曲の途中でマコトが乱打して、台のアキラが「えーい、うるさい!」とセットを放り出して下げとなる。
ハーモニカ
アキラが担当。ハーモニカを鼻息で吹いていた、父の東六から受け継いだネタ。
ハーモニカの端に棒を立て、皿を回しながら吹奏する。
その後そのハーモニカのもう一端でもう一枚皿を回し、その下に棒を立ててリコーダーで「おおスザンナ」を吹く。
フライパン
アキラがフライパン、セツオが釜を持ち、各々底をマレットで叩き、アコーディオンに合わせて長唄勧進帳」を演奏する。
最後はセツオが釜を表側にし、内ポケットから取り出した太鼓の撥で「カーン」と釜を叩いて、下げになる。

過去に使用していた楽器

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壊れるヴァイオリン「ストラディヴァリウス?」
父・東六のネタ。
モーニング姿でヴァイオリンを抱え、舞台に登場。短く一曲を弾き終え、「これは(ヴァイオリニストの)辻久子の持っているストラディヴァリウスよりもさらに高い…明日から、見られまへんで。明日からフェスティバルホールに出まんねん…」などと笑わせる。
「ホンマに、丈夫だんねん」とヴァイオリンを叩くと、ネックが根元から折れて「おじゃましました!」と言いながら舞台を降りる。言うまでもなく、ネックは最初から根元が固定されていない。
はたき
東六、アキラ、マコトのネタ。
竹箒とはたきを改造。箒の柄の部分には、はたきにはが張ってあり、バイオリンのように演奏する。
箒の柄の先には吹き込み口と穴が穿ってあり、フルートのように演奏できる(この部分のみマコトが担当)。
セツオのエレキギター伴奏で「お手々つないで」を演奏する。
三味線
東六のネタ。
胸から提げたハーモニカを吹き、足で太鼓を叩き、ピックで三味線を弾き、残りの薬指・小指に付けた撥で鉦を叩く。

その他

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出演番組

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テレビ

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ほか

ラジオ

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CM

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レコード

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弟子

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東六の弟子

横山ホットブラザーズの弟子

その他

脚注

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注釈

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出典

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外部リンク

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