楠田幹人
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楠田幹人 くすだ みきと | |
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生年月日 | 1941年5月26日(83歳) |
出生地 |
日本 福岡県朝倉郡夜須町 (現・筑前町) |
出身校 |
佐賀大学文理学部卒業 (現・佐賀大学経済学部・理工学部) |
前職 | 福岡銀行行員 |
所属政党 |
(自由民主党→) (無所属→) 新進党 |
子女 | 次男・楠田大蔵 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1987年2月1日 - 1995年1月31日 |
福岡県議会議員 | |
選挙区 | 筑紫野市選挙区 |
在任期間 | 1983年 - ? |
筑紫野市議会議員 | |
在任期間 | 1975年 - ? |
楠田 幹人(くすだ みきと、1941年〈昭和16年〉5月26日[1][2] - )は、日本の政治家。元福岡県筑紫野市長(2期)、元福岡県議会議員(1期)。
来歴
[編集]福岡県朝倉郡夜須町(現・筑前町)出身[1]。福岡県立修猷館高等学校を経て、1966年(昭和41年)、佐賀大学文理学部卒[1]。卒業後は福岡銀行に入る[1]。1975年(昭和50年)、筑紫野市議会議員に当選した[3]。1979年(昭和54年)、福岡県議会議員選挙に立候補したが、この時は落選した[4]。1983年(昭和58年)の県議選では筑紫野市選挙区から自民党公認で立候補して、初当選を果たした[5]。1987年(昭和62年)、筑紫野市長に当選。同年2月1日に就任した[2]。1991年(平成3年)の市長選は無投票で再選を果たした[6]。1995年(平成7年)は不出馬。翌1996年の第41回衆議院議員総選挙において福岡5区から新進党公認で立候補したが、落選[1]。選挙後、公職選挙法違反で逮捕された[1]。2023年(令和5年)の筑紫野市長選挙では、平井一三の応援に入った[7]。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』185頁。
- ^ a b 『青年よ故郷に帰って市長になろう : 地方から日本の変革を 115コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『青年よ故郷に帰って市長になろう : 地方から日本の変革を 116コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『青年よ故郷に帰って市長になろう : 地方から日本の変革を 117コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『朝日選挙大観 第13回参議院通常選挙(昭和58年6月)・第10回統一地方選挙(昭和58年4月) 59コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『月刊社会党 (428) 93コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ “【筑紫野市長選】12年ぶりの選挙~現職含む三つ巴の戦い|NetIB-News”. 【筑紫野市長選】12年ぶりの選挙~現職含む三つ巴の戦い|NetIB-News. 2024年10月30日閲覧。
参考文献
[編集]- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。