藤田陽三
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藤田 陽三 ふじた ようぞう | |
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内閣府地方創生推進室より公表された肖像 | |
生年月日 | 1942年2月20日 |
出生地 | 日本 福岡県筑紫野市 |
没年月日 | 2023年8月1日(81歳没) |
出身校 | 福岡県立修猷館高等学校夜間 |
所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
称号 |
従四位 旭日中綬章 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2011年2月1日 - 2023年1月31日 |
選挙区 | 筑紫野市選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1991年11月 - 2010年12月 |
藤田 陽三(ふじた ようぞう、1942年〈昭和17年〉2月20日[1] - 2023年〈令和5年〉8月1日[2])は、日本の政治家。元福岡県筑紫野市長(3期)、元福岡県議会議員(5期)、元筑紫野市議会議員(2期)。
来歴
[編集]福岡県筑紫野市出身[3]。山口村立山口小学校(現・筑紫野市立山口小学校)、筑紫野町立二日市中学校(現・筑紫野市立二日市中学校)、福岡県立修猷館高等学校夜間卒業。父の遺志を継ぎ、左官業に従事。
1974年(昭和49年)、第12回全国左官技能競技大会優勝[4]。
1987年(昭和62年)5月から筑紫野市議会議員を2期務め、1991年(平成3年)11月から福岡県議会議員を5期務めた[5]。
2011年(平成23年)1月30日に行われた筑紫野市長選挙に出馬し、初当選した。投票率は45.03%だった[6]。2月1日、市長就任。
2015年(平成27年)、無投票で再選。2019年(平成31年)、無投票で3選。
4選を目指した2023年(令和5年)1月22日の選挙で、福岡県議の平井一三に敗れ、落選した。
2023年8月1日、死去[2]。81歳没。死没日付をもって従四位に叙され、旭日中綬章を追贈された[7]。
脚注
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、395頁。
- ^ a b 近藤将勝 (2023年8月2日). “【訃報】前筑紫野市長・藤田陽三氏死去”. データ・マックス. 2023年8月2日閲覧。
- ^ 「広報いずみ」2011年8月号、No.65
- ^ 一般社団法人日本左官業組合連合会 全国左官技能競技大会
- ^ 市長のプロフィール
- ^ 筑紫野市長選挙(平成23年1月30日執行)
- ^ 『官報』第1058号7頁 令和5年9月8日
外部リンク
[編集]公職 | ||
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先代 平原四郎 |
福岡県筑紫野市長 2011年 - 2023年 |
次代 平井一三 |