森武知子
プロフィール | |
---|---|
出身地 | 日本 福岡県 |
公称サイズ(1958年 [1]時点) | |
身長 / 体重 | 164 cm / 54 kg |
BMI | 20.1 |
スリーサイズ | 87 - 57 - 92 cm |
活動 | |
備考 | ミス・ユニバース日本代表 |
モデル: テンプレート - カテゴリ |
森武 知子(もりたけ ともこ、1938年頃[2] - )は、1958年(昭和33年)のミス・ユニバース・ジャパンである。
経歴
[編集]門司トンネル博覧会[4]事務局に在職中、ミスコンのキャリアを開始。1958年3月20日から5月25日にかけて門司市(現・北九州市)で開催された門司トンネル博覧会のミスコン「ミス門司トンネル博」で優勝[5][6]。
1958年6月、千駄ヶ谷の都立体育館で開催された“ミスコンの日本代表を選ぶ大会”[7]に福岡県代表として出場[8]。全国48名の美女のなかからミス・ユニバース・ジャパンに選ばれる[5]。
1958年6月18日、ミス・ワールド・ジャパンの奥瀬寿子とともにジョリイ本舗東京工芸株式会社を訪問。金子社長夫妻と懇談。金子夫人からは欧米諸国のエチケットなどをレクチャーされた。6月19日、ボン本舗桑村装身具を訪問。同社ショールームを参観、この夏のアクセサリーについて聞く。6月20日、中村アクセサリーを訪問[9]。
1958年6月28日、ミス・ユニバース・ジャパン、ミス・ワールド・ジャパン、ミス・サンケイなど6人の美女が株式会社小松原商会を訪問した。福沢社長と記念撮影、記念品の贈呈などが行われた[10]。
1958年7月、カリフォルニア州ロングビーチで行われたミス・ユニバース1958(第7回世界大会)に日本代表として出場、セミファイナルに進出し「トップ15」に入賞するとともに、特別賞「ミス・フレンドシップ」を受賞。
その後、大阪でモデルとして活躍した[3]。『週刊サンケイ』 昭和33年7月27日号の表紙を飾る[11]ほか、『現代人間模様』の第11回(1959年6月22日)および第12回(6月29日)として放送された「第六レース」前編・後編[12]に出演[13]。
参考文献
[編集]- 世界貿易産業大博覧会誌編纂委員会 編『世界貿易産業大博覧会誌 関門海底国道トンネル開通記念 門司トンネル博』門司市役所、1959年。doi:10.11501/2488726。
注釈・出典
[編集]- ^ 「日本代表きまる ミス・ユニバース ミス・ワールド」『朝日新聞』1958年6月8日、11面。
- ^ 相沢正夫『数字雑学事典』毎日新聞社、1977年4月5日、90-91頁。 NCID BA75766185。
- ^ a b 「森武知子」『週刊サンケイ』第8巻第29号、扶桑社、1959年、44-45頁、doi:10.11501/1809539。
- ^ 正式名称:関門海底国道トンネル開通記念 世界貿易産業大博覧会
- ^ a b 「ミス・ユニバース 森武さん(福岡)ミス・ワールド 奥瀬さん(青森)両代表が選ばれる」『中部日本新聞』1958年6月8日、7面。
- ^ 準ミスは吉永和子・香月芙蓉子
- ^ この年はミス・ユニバース・ジャパンとミス・ワールド・ジャパンを合同で選出した
- ^ 「東京工芸株式会社広告」『装粧品新聞』第158号、財団法人日本粧業会、1958年6月15日、1頁。
- ^ 「ミス ユニバース ワールド 日本代表各社訪問」『装粧品新聞』第159号、財団法人日本粧業会、1958年6月25日、7頁。
- ^ 「社長さんはご満悦」『装粧品新聞』第159号、財団法人日本粧業会、1958年6月25日、5頁。
- ^ 「表紙」『週刊サンケイ』第7巻第27号、扶桑社、1958年、1頁、doi:10.11501/1810090。
- ^ “第六レース 前編・後編”. テレビドラマデータベース. 株式会社キューズ・クリエイティブ. 2021年1月15日閲覧。
- ^ 小田和生「第六レース」『ラジオとテレビ 放送ドラマ』第1巻第1号、清和書房、1959年、98ff。