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古野弥生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ふるの やよい
古野 弥生
左から2番目
プロフィール
生年月日 1941年
出身地 日本の旗 日本 福岡県
公称サイズ(1960年[1]時点)
身長 / 体重 168.5 cm / 55 kg
BMI 19.4
スリーサイズ 88 - 57 - 92 cm
活動
備考 ミス・ユニバース日本代表
モデル: テンプレート - カテゴリ

古野 弥生(ふるの やよい)は、1960年昭和35年)の 『ミス・ユニバース・ジャパン』であり、同年のミス・ユニバース世界大会でも 『トップ15』に入賞した。

経歴

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出身は福岡県福岡市[2][3][4]、小学校は福岡市立春吉小学校に通った[5]

香蘭女学院高等部1年のとき、東映の「すばらしいむすめ」に選ばれる。同3年のとき「ミス・ウール」に選ばれる[6]

1960年昭和35年)6月10日安保闘争ハガチー事件が起こった日に東京体育館で開かれた、“ミスコンの日本代表を選ぶ大会”[7]に福岡代表として出場し、ミス・ユニバース日本代表に選ばれた。

現地時間7月9日、アメリカ・フロリダ州マイアミビーチ で行われたミス・ユニバース1960に出場した。そこで古野はセミファイナルに進出、『トップ15』に入賞した。当時は無職の19歳であった[8]

新日本証券などに勤めた後、1969年昭和44年)不動産業を営む男性と結婚し、1974年昭和49年)2月に32歳で娘を出産した[9]

補足

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古野と同県人で同世代の漫画家・松本零士の『新竹取物語 1000年女王』のヒロイン・雪野弥生と一字違いであるが、両者の関連は不明である。

脚注

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  1. ^ 「雑記帳」『毎日新聞』1960年6月11日、11面。
  2. ^ 和白郷土史研究会 編「第5章 奈多村の歴史」『ふる里のむかし』和白校区自治協議会、福岡市東区和白3丁目、2006年、195頁。 
  3. ^ おおむたの歴史9 戦後黄金期の大牟田”. 大牟田からの独り言. 2020年4月12日閲覧。 “大牟田観光協会、1960年ミスユニバース日本代表古野弥生氏を招き延命公園で撮影会実施”
  4. ^ 「三人のミス日本決まる ユニバースには福岡の古野さん」『読売新聞』1960年6月11日、10面。
  5. ^ 野口福雄. “記憶にとどめておきたいエピソードがある。春吉にはこんな話があるそうだ”. 晴好実行委員会. 2015年5月14日閲覧。
  6. ^ 「栄冠に輝く三人の美女」『中部日本新聞』1960年6月11日、8面。
  7. ^ この年はミス・ユニバースミス・ワールドミス・インターナショナルの日本代表を同時に選んだ。
  8. ^ 相沢正夫『数字雑学事典』毎日新聞社、1977年4月5日、90-91頁。 NCID BA75766185 
  9. ^ 「23年間のミス・ユニバース 美女の運命はいかに?」『週刊朝日』第79巻第20号、朝日新聞社、1974年5月3日、139-143頁。