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森三信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

森 三信(もり みつのぶ、元和6年(1620年) - 貞享元年8月7日1684年9月16日))は、美作津山藩家老

旗本森可澄の次男。津山藩家老森可春の養子。祖父は森可政。正室は関成次の娘於長(津山藩2代藩主森長継の妹)。子は森包一(病弱のため部屋住)、森三隆関衆令室於美貴、湯浅武朝室於蘭。孫は播磨赤穂藩の第2代藩主森長孝。初名は可則。通称は宗兵衛。

寛永11年(1634年)叔父可春の養子となり家督相続。禄高7000石。祖父可政の通称宗兵衛を名乗った。正保2年(1645年森可成室妙向禅尼50回忌に、藩主長継の代香として京都西本願寺に遣わされる。万治2年(1659年)4月11日江戸城本丸、二の丸の石垣普請の勤労に対し時服と白銀を賜る。延宝2年(1674年)5月26日藩主長武の家督相続の御礼言上の際に、森家家老・長尾隼人共一、神尾蔵人正勝、百々玄蕃一信とともに将軍家綱に拝謁する。貞享元年(1684年)8月7日没。享年65。家督は嫡男可雄(三隆)が相続した。

参考文献

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