関成次
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 万治3年8月22日(1660年9月26日) |
別名 | 九郎次郎、豊後、民部(通称) |
戒名 | 光徳院殿乾巌宗享大居士 |
墓所 | 岡山県津山市小田中の本源寺 |
主君 | 森忠政、長継 |
藩 | 美作津山藩家老 |
氏族 | 関氏 |
父母 | 関成政、碧松院(森可成娘) |
兄弟 | 武兵衛、宇兵衛、了向、成次 |
妻 | 郷(森忠政三女) |
子 | 森長継、長政、衆之、長、伊勢松 |
関 成次(せき なりつぐ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。美作国津山藩家老。津山藩2代藩主・森長継、宮川藩初代藩主・関長政の実父。
略歴
[編集]天正12年(1584年)、父・成政が小牧・長久手の戦いで戦死したため、母と共に母方の叔父・森忠政を頼る。成長して忠政の家臣となり、その娘・郷を娶り家継、長政、衆之の三子を儲けた。舅・忠政の男子がすべて早世したため、寛永10年(1633年)嫡男の家継(長継)がその養嫡子となる。同年忠政が死去したため、長継がその跡を継いで第2代藩主となった。寛永11年(1634年)、長継の家督相続の御礼言上の際に、森家家老の大塚主膳三俊、森采女可春、各務主水正利、森左近正信とともに二条城で将軍徳川家光に拝謁した。