コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

梅根悟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

梅根 悟(うめね さとる、1903年9月12日[1] - 1980年3月13日[1])は、日本の教育学者。専門は西洋教育史[2]東京教育大学名誉教授和光大学初代学長。

来歴

[編集]

福岡県生まれ[1]東京高等師範学校を経て[1](旧制)東京文理科大学卒業。1936年から埼玉県内の中学校に数校勤務し[1]、1946年埼玉県川口市助役[1]。1948年、東京文理科大学助教授[1]、翌年東京教育大学教授[1]1966年定年退官、名誉教授[要出典]和光大学を創設して初代学長に就く[1][3]

戦後、石山脩平とともにコアカリキュラム連盟(現、日本生活教育連盟)を主宰し[3]和光学園を実験校とした。1951年に日教組の教研集会講師を務めて以来、長年にわたって日教組の教育研究運動に協力した[1][3]。教育史学会代表理事や日本教育学会会長も務めた[1]。また、民主教育をすすめる国民運動(労働組合日本科学者会議日本子どもを守る会など16団体が参加)の代表委員に就任し、1973年には筑波大学設置の反対運動などを行った[4]少年マガジン創刊時に、編集賛助員として関与した。[要出典]

これらの多角的な活動から「梅根の前に梅根なく、梅根の後にも梅根なし」と評された[3]倉沢剛は、梅根が教育改革に熱心なあまり、学術的著述が少ないことを惜しんだ[2]

著作

[編集]
  • 『労作教育新論』(成美堂書店) 1933
  • 『高等小学の学級経営』(成美堂書店) 1937 
  • 『初等教授改革論』(賢文館、革新教育叢書) 1940
  • 『初等国民学校の理念』(成美堂) 1940 
  • 『国民教育の新体制』(河出書房) 1941 
  • 『新教育への道』(誠文堂新光社) 1947 
  • 『初等理科教授の革新』(誠文堂新光社、教育新書) 1948
  • 『新教育と社会科』(河出書房、教育文庫) 1948
  • 『生活学校の理論 新しき生活教育の建設のために』(国立書院) 1948
  • 『カリキュラム改造 その歴史的展開』(金子書房、教育学全書) 1949
  • 『教育制度』(三省堂出版) 1949
  • 『コア・カリキュラム 生活学校の教育設計』(光文社) 1949
  • 『コア・カリキュラムの本質』(誠文堂新光社) 1949
  • 『ヒューマニズムの教育思想 新教育思想の源流』(中央教育出版) 1949
  • 『新しい中学校の教育』(国土社) 1950
  • 『教育方法』(誠文堂新光社、教職教養シリーズ) 1950
  • 『現代訓育論』(明治図書出版) 1950
  • 『新エミール』(誠文堂新光社) 1951
  • 『単元』(誠文堂新光社) 1951
  • 『西洋教育史』(誠文堂新光社) 1952
  • 『中等教育原理』(誠文堂新光社) 1952
  • 『中等教育課程』(誠文堂新光社) 1953
  • 『問題解決学習』(誠文堂新光社) 1954
  • 『世界教育史 人間は人間を幸福にできる その考え方の歴史』(光文社) 1955
  • コメニウス』(牧書店、西洋教育史) 1956
  • 『中世ドイツ都市における公教育制度の成立過程』(誠文堂新光社) 1957
  • 『教育の歴史』(新評論、女教師双書) 1961
  • 『国民教育の改革 子どものための教育をめざして』(誠文堂新光社) 1963
  • 『ソヴェート教育紀行』(紀伊国屋新書) 1963
  • 『教育史学の探求』(講談社) 1966
  • 『私の大学論』(誠文堂新光社) 1966
  • 『近代国家と民衆教育 プロイセン民衆教育政策史』(誠文堂新光社) 1967
  • 『西洋教育思想史』(誠文堂新光社) 1968 - 1969
  • 『大学教育論』(誠文堂新光社) 1970
  • ルソーエミール」入門』(明治図書出版、教育学古典解説叢書) 1971
  • 『私の中教審答申批判』(明治図書出版) 1972
  • 『教育研究五十年の歩み』(教育史研究会編、講談社) 1973
  • 『小さな実験大学』(講談社) 1975
  • 『日本の教育改革』(大月書店、国民文庫、現代の教養) 1975 
  • 『私の教育改革論』(明治図書出版) 1975
  • 梅根悟教育著作選集』全8巻(明治図書) 1977
  • 『梅根悟障害者教育論集』(障害者の教育権を実現する会編、現代ジャーナリズム出版会) 1981
  • 『歴史に生きる 教育断想』(あゆみ出版) 1982
  • 『教育の話』(ほるぷ出版、ほるぷ現代ブックス) 1984

共編著

[編集]
  • 『新教育学精説』(海後勝雄共著、成美堂書店) 1934
  • 『小学校の特別教育活動』(編、金子書房) 1952
  • 『学習指導法』(川合章共著、金子書房、大学教職課程シリーズ) 1955
  • 『教育小辞典』(石山脩平共編、金子書房) 1955
  • 『音楽科指導の技術』(瀬戸尊共著、東洋館出版社、講座・初等教育技術) 1957
  • 『学級経営の技術』(小島忠治共著、東洋館出版社、講座・初等教育技術) 1957
  • 『国語科指導の技術』(泉節二共著、東洋館出版社、講座・初等教育技術) 1957
  • 『算数科指導の技術』(守屋操共著、東洋館出版社、講座・初等教育技術) 1957
  • 『現代教科教育講座』全7巻(勝田守一共編、河出書房) 1957
  • 『社会科教育のあゆみ』(岡津守彦共編、小学館、新教育の実践体系) 1959
  • 『西洋教育史 民衆教育のあゆみ』(編、黎明書房) 1959
  • 『教育学テキスト講座』(長田新企画、皇至道, 荘司雅子共編、御茶の水書房) 1962 - 1963
  • 『世界近代教育史 現代教育の史的展望』(編、黎明書房) 1962
  • 『現代教育改革 その世界的動向』(安藤尭雄共編、東洋館出版社) 1963
  • 『実践教育技術』(井坂行男, 辰見敏夫共編、お茶の水書房) 1964
  • 『教育原理』(編著、誠文堂新光社、新・教職教養シリーズ) 1965
  • 『テストにおわれる子ら』(編、誠文堂新光社) 1965
  • 『幼稚園・保育園100科 領域別』1 - 7(久保田浩, 横地清共編、誠文堂新光社) 1967 - 1968
  • 『保育原理』(編、誠文堂新光社、新・教職教養シリーズ) 1968
  • 『教育学の名著 12選』(長尾十三二共編、学陽書房、名著入門ライブラリー) 1974
  • 『日本の教育改革を求めて』(教育制度検討委員会、編、勁草書房) 1974
  • 『総合学習の探究』(海老原治善, 丸木政臣共編、勁草書房、教育改革シリーズ) 1977

監修

[編集]
  • 『世界教育学選集』既刊80巻(監修、明治図書
  • 『世界教育史体系』既刊16巻(監修、講談社

翻訳

[編集]
  • 『国家権力と教育 大学論・教育学講義序説』(シュライエルマッヘル梅根栄一共訳、明治図書出版、世界教育学選集) 1961
  • 『政治と教育 隠者の夕暮他』(ペスタロッチ、明治図書出版、世界教育学選集) 1965
  • 『大学の理念と構想』(フィヒテ、編訳、明治図書出版、世界教育学選集) 1970
  • デューイ実験学校』(メイヨー、エドワーズ、石原静子共訳、明治図書出版、シリーズ・世界の教育改革) 1978

追悼文集

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k 「梅根悟博士略年譜」『日本の教育史学』第23巻、教育史学会、1980年、3頁、doi:10.15062/kyouikushigaku.23.0_App3 
  2. ^ a b 倉沢剛「梅根悟君の思い出」『日本の教育史学』第23巻、教育史学会、1980年、7-9頁、doi:10.15062/kyouikushigaku.23.0_7 
  3. ^ a b c d 渡邊隆信「梅根悟と教育史教育 : 今『西洋教育史』をどう用いるか」『兵庫教育大学研究紀要 : 学校教育・幼年教育・教育臨床・障害児教育・言語系教育・社会系教育・自然系教育・芸術系教育・生活・健康系教育・総合学習系教育』第44巻、兵庫教育大学、2014年2月、1-8頁。 
  4. ^ 「十六団体の聯合も反対声明 筑波大学設置法案」『朝日新聞』昭和48年(1973年)2月16日朝刊、13版、3面

外部リンク

[編集]
公職
先代
(新設)
埼玉県川口中学校
1941年 - 1946年
次代
西川好明
先代
金子道啓
埼玉県立本庄中学校
1938年 - 1941年
次代
大沢幸平
学職
先代
(新設)
和光大学
1966年 - 1980年
次代
藤井清
学長代行
先代
川合章
日本生活教育連盟委員長
1966年 - 1980年
次代
川合章
先代
石川謙
教育史学会代表理事
1968年 - 1980年
次代
土屋忠雄
先代
海後宗臣
日本教育学会会長
1974年 - 1980年
会長代行
1973年 - 1974年
次代
細谷俊夫
会長代行
先代
古川原
国民教育研究所研究会議議長
1975年 - 1980年
次代
大田堯
座長
先代
石三次郎
日本の旗 東京教育大学教育学部長
1962年 - 1963年
次代
山田栄
先代
石三次郎
応用教育研究所
1962年 - 1963年
次代
山田栄
先代
石山脩平
コア・カリキュラム連盟委員長
日本生活教育連盟委員長
1953年 - 1956年
コア・カリキュラム連盟委員長
1952年 - 1953年
次代
海後勝雄