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梅小路定子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

梅小路 定子(うめこうじ さだこ/ていし、? - 1680年7月22日延宝8年6月27日))は、後西天皇。父は佛光寺門跡の随如、もしくは光源寺智秀。養父は権大納言梅小路定矩。通称は六条局。藤原定子とも呼ばれる。

生涯

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出自については佛光寺門跡の随如、もしくは光源寺智秀の娘とされており、定かではない。後に権大納言梅小路定矩の養女となる[1]

後西天皇の後宮に入り六条局と称された。天皇との間には公弁法親王八条宮尚仁親王ら4皇子と6皇女を儲ける[2]

1680年7月22日延宝8年6月27日)、死去。正三位が贈られた[2]

脚注

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  1. ^ 「大阪府全志 第3巻」(井上正雄、清文堂、1975年
  2. ^ a b 「日本人名大辞典」(講談社