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桂田利吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かつらだ りきち

桂田 利吉
生誕 (1901-10-05) 1901年10月5日
宮城県柴田郡村田町
死没 (1992-02-06) 1992年2月6日(90歳没)
東京都
死因 急性心不全
国籍 日本の旗 日本
出身校 東北帝国大学法文学部
職業 学者
子供 桂田光喜(二男)
栄誉 勲三等瑞宝章(1972年)[1]
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桂田 利吉(かつらだ りきち、1901年(明治34年)10月5日 - 1992年(平成4年)2月6日)は、日本英文学者。法政大学教授、実践女子大学第6代学長。コールリッジ研究の第一人者[2]

人物・来歴

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宮城県柴田郡村田町生まれ。1929年東北帝国大学法文学部卒[2]。1930年高等学校英語科教員免許取得。

1930年、宮城県立女子専門学校教授、1941年同校依願退職。同年横浜専門学校教授、1945年同校依願退職。

1945年、法政大学専門部教授、1946年同大文学部講師、1959年同教授、1960年「コウルリッヂ研究」で文学博士

1969年実践女子大学教授、1974年から78年まで学長。退官後、旧蔵書が大学図書館に寄贈され「桂田利吉文庫」が設けられる[2]

1992年2月6日、急性心不全で死去[3]。90歳没。

電通副社長を務めた桂田光喜は二男[3]

著書

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  • 『コウルリッヂ』研究社英米文学評伝叢書、1934年。
  • 『コウルリッジ「シェイクスピア論」』(訳)岩波文庫、1939年[4]
  • 『コウルリッジ研究』法政大学出版局、1969年。
  • 『日本におけるコウルリッジ研究文献総覧』ジュール・土木工学社、1986年12月。
  • 『渓雲録』土木工学社、1987年9月。

翻訳

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  • コールリッヂ『シェイクスピア論』岩波文庫、1939年10月。のち復刊。
  • コウルリッジ『文学評伝』思索社、1949年。新版、法政大学出版局・りぶらりあ選書
  • ジェイムズ・ギルマン『コウルリッジの生涯』高山信雄、岡村由美子共訳 こびあん書房 1992年3月。

記念論集

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  • 桂田利吉博士傘寿記念論集刊行会『コウルリッジとその周辺』法政大学出版局、1982年2月。

脚注

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  1. ^ 桂田 利吉 カツラダ リキチ”. コトバンク. 2023年4月8日閲覧。
  2. ^ a b c 桂田利吉文庫”. 実践女子大学・実践女子大学短期大学部図書館. 2023年4月8日閲覧。
  3. ^ a b 『日本経済新聞』1992年2月9日 27頁
  4. ^ 桂田利吉博士傘寿記念論集刊行会『コウルリッジとその周辺:桂田利吉博士傘寿記念論集』法政大学出版局、1982年、465-467頁。 

参考文献

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