桂梅枝
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桂 梅枝(かつら ばいし)は、上方落語の名跡。当代は四代目。
初代梅枝の師匠・初代桂文枝が前名として名乗っていた梅香の「梅」と、文枝の「枝」を合わせたのが由来。
- 初代桂梅枝 - 本名、生没年ともに不詳。初代桂文枝の門下。その他の詳細不明。桂藤兵衛を称したとも言われている。
- 2代目桂梅枝 - 当該項目で記述。
- 3代目桂梅枝 - 本項にて記述。
- 4代目桂梅枝 - 当代。
3代目 | |
結三柏は、桂文枝一門の定紋である。 | |
本名 | 鹿野 惣吉 |
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生年月日 | 不詳年 |
没年月日 | 不詳年 |
出身地 | 日本 |
師匠 | 笑福亭松光 笑福亭吉右衛門 西國坊明學 2代目桂梅枝 桂仁左衛門 |
名跡 | 1. 笑福亭光笑 2. 笑福亭吾市 3. 西國坊開明 4. 初代桂枝光 5. 桂左衛門 6. 桂門十郎 7. 3代目桂梅枝 |
活動内容 | 上方落語 |
所属 | 互楽派 大八会 |
3代目 桂梅枝(1872年〜1873年ごろ - 大正10年代末)は、本名:鹿野惣吉、享年不詳。
経歴
[編集]改名回数は多いが、端席での出演が多かったため記録が残っておらず、その順序は掴み難い。
初め笑福亭松光の門下で光笑を名乗る。次に5代目笑福亭吾竹の門下で吾市。次に西國坊明學の門下で開明。明治30年代初め2代目桂梅枝の門下で初代桂枝光。1908年ころに桂仁左衛門の門下で左衛門、明治40年代中頃に桂門十郎となり、大正中期ころに2代目死後に3代目梅枝を襲名。
一時、一流の桂派の寄席にも出演したが、主に互楽派や大八会の二流の寄席で活躍し、典型的な端席芸人だった。落語では大成しなかった。主に『稽古屋』『あづま奴』などが十八番だったというが、むしろ余興の四つ竹で名を売った。読み書きや算盤が得意だったため、大八会では幹部に出世した。
妻・ふさは囃子方として下座を勤めていたが、娘と共に強盗に惨殺される。その後も暫くは高座に上がっていたが、大正末期以降の足取りは定かでない。
出典
[編集]- 『落語系圖』(月亭春松編)
- 『古今東西落語家事典』(諸芸懇話会・大阪芸能懇話会共編、平凡社、ISBN 458212612X)
- 『ご存じ古今東西噺家紳士録』(CD-ROM、APP、2005年)