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桂文楽 (4代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
4代目 かつら 文楽ぶんらく
本名 新井 文三
別名 「デコデコの文楽」
生年月日 1838年12月26日
没年月日 (1894-01-28) 1894年1月28日(55歳没)
出身地 日本の旗 日本
師匠 4代目桂文治
6代目桂文治
名跡 1. 鶴丸亭小きん(時期不明)
2. 桂文七(時期不明)
3. 桂文鏡(時期不明)
4. 松廼家文三(時期不明)
5. 松廼家〆寿(時期不明)
6. 荻江文三(? - 1868年)
7. 4代目桂文楽(1868年 - 1894年)
活動期間 ? - 1894年
活動内容 落語
幇間
所属 柳派

4代目 桂 文楽(かつら ぶんらく、天保9年11月10日1838年12月26日) - 明治27年(1894年1月28日)は、主に明治期に活躍した落語家。本名、新井文三。

初めは天狗連で鶴丸亭小きんと名乗っていた。4代目桂文治門下に入って文七から文鏡となる。その後幇間に転じ、松廼家文三、松廼家〆寿、荻江文三と名乗って新富町遊廓吉原で活動していたが、後に落語家復帰し6代目桂文治門で1868年ころに4代目文楽襲名。

口癖で「デコデコ」とよく言っていたため、「デコデコの文楽」と呼ばれた。

人情噺が得意で、『音羽丹七』は絶品であったという。他にも得意ネタには『居残り佐平次』『たちきり』などがあった。

特異なポーズ(両手のこぶしをしっかり握りしめ、自己の前に甲を下にして置く)を崩さずに噺を続けていたことで知られた。

後に落語界のドンとなった5代目柳亭左楽は、デコデコの文楽に憧れて落語界に入っており、高座中のポーズも模倣していた。

1894年没。享年57。墓所は台東区桃林寺。戒名は「桂真院宜演文楽居士」。

関連項目

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