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桂広太郎

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桂広太郎

桂 広太郎(廣太郎、かつら こうたろう[1] / ひろたろう[2]1908年明治41年)1月17日[1] - 2002年平成14年)1月21日[3])は、日本実業家薬学者華族貴族院公爵議員薬学博士[2]

経歴

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東京市桂与一桂太郎長男)、てい(新田忠純二女)夫妻の長男として生まれる[1][4]。祖父・桂太郎の死去に伴い1913年11月28日、公爵を襲爵[1][5]1938年1月16日、満30歳に達し貴族院公爵議員に就任[2][6]火曜会に所属して1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]

1931年東京帝国大学医学部薬学科を卒業[2][4]。同年、同薬学科副手となる[2]。その後、国民体力審議会委員、内閣委員、厚生省委員、国土計画審議会委員などを務めた[2]

1948年、桂化学研究所を設立し社長に就任[3]1951年、桂化学株式会社を設立[3]。同社長、相談役を歴任[3]。また、拓殖大学顧問も務めた[3]

栄典

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親族

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  • 妻 桂富美子(白根松介長女)[1]
    • 長女:桂茂都子(島田宗彦夫人、1939年4月2日生[1]
    • 長男:桂繁太郎(公爵継嗣、1941/11/1生[1])
      • 孫:桂美香子(1970年2月26日生[1])
      • 孫:桂伸太郎(1974/4/19生[1])
    • 二男:桂栄二郎(1944年4月30日生[1])

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『平成新修旧華族家系大成』上巻、425-426頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』8頁。
  3. ^ a b c d e 『現代物故者事典 2000-2002』170頁。
  4. ^ a b 『人事興信録』第14版上、カ97頁。
  5. ^ 『官報』第402号、大正2年11月29日。
  6. ^ 『官報』第3326号、昭和13年2月5日。
  7. ^ 『官報』第949号「叙任及辞令」1930年3月1日。

参考文献

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  • 『現代物故者事典 2000-2002』日外アソシエーツ、2003年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 事興信所編『人事興信録』第14版上、1943年。
爵位
先代
桂太郎
公爵
桂家第2代
1913年 - 1947年
次代
華族制度廃止