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柴田タカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
柴田たかから転送)
柴田 タカ
個人情報
国籍日本
生誕 (1916-10-10) 1916年10月10日
死去1991年(74 - 75歳没)
スポーツ
競技短距離走
種目100メートル競走

柴田 タカ(しばた たか、1916年10月10日 - 1991年)は、日本の短距離走選手。1932年ロサンゼルスオリンピックで女子100メートル競走に出場した[1]

生涯

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山形県山形市において[2][3]、菓子店の長女として生まれる[3]。山形高等女学校(現在の山形県立山形西高等学校)在校中[4]:6[5][注釈 1]1932年ロサンゼルスオリンピックで女子100メートル競走に出場した[2]。山形県初の女子オリンピック選手である[2][注釈 2]。オリンピックでは予選で落選しており、公式記録上は「記録なし」とされている。

同大会には渡辺すみ子(1916年11月28日生まれ)が満15歳で女子100m走に出場している。オリンピックに出場した日本の陸上選手としては渡辺が最年少記録(2022年現在も維持)とされ[7]、柴田はこれに次いで年少の選手とされる[6]。日本陸上競技連盟では1916年生まれ・満16歳出場とするが、生まれた月日が不詳とされる[6]。Sports Reference LLC.では10月10日生まれとするが典拠は不明。山形県郷土館では「15歳で出場」とある。

少女倶楽部』1934年6月号の特集記事「女子スポーツ選手グラフ」が同世代の女子選手たちを取り上げた際[注釈 3]、当時山形女子師範学校3年生の柴田は、100m走で12秒6の記録を持つ選手であるとともに、学業に励み、6人の弟妹の面倒を見たり店番を務めたりするなど家事・家業に貢献していることが記され、模範的な「スポーツ少女」として紹介した[3]

山形県女子師範学校卒業後、小学校教諭を務めた[2]。その後、山形市内の寺に嫁ぎ、4人の子を育てた[2]。子供たちには母がオリンピック選手であったことを自慢しないよう語っていたと言い、山形県郷土館(文翔館)は謙虚な人柄を示すエピソードとして紹介している[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 日本陸上競技連盟によれば山形第二高等女学校(現在の山形県立山形北高等学校)在校中[6]。『文翔館』では山形県女子師範学校山形大学の前身)在学中と記す[2]
  2. ^ 山形県初のオリンピック選手は1920年アントワープオリンピックに出場した茂木善作(マラソン)[4]:6
  3. ^ この特集では、守岡初子(水泳)、柴田タカ、小島一枝(水泳)、前畑秀子(水泳)、横田みさを(水泳)、渡辺すみ子(陸上)、真保正子(陸上競技・槍投)、松澤初穂(水泳)が取り上げられた[8]

出典

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  1. ^ Taka Shibata Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月5日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 館長室から 文翔館今昔ものがたり その8」『文翔館』第54号、山形県郷土館、2021年、2022年1月17日閲覧 
  3. ^ a b c 小石原美保 2014, p. 13.
  4. ^ a b 山形県 中学生の体育資料”. 開隆堂 (2013年). 2022年1月17日閲覧。
  5. ^ 中澤篤史 2010, p. 41.
  6. ^ a b c 五輪代表の年少者”. JAAF Statistics Information 201120609=No.16. 2022年1月17日閲覧。
  7. ^ “16歳土井、福島追いつめ五輪濃厚/陸上”. 日刊スポーツ. (2012年6月10日). https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/p-sp-tp0-20120610-965063.html 2022年1月17日閲覧。 
  8. ^ 小石原美保 2014, p. 17.

参考文献

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  • 中澤篤史オリンピック日本代表選手団における学生選手に関する資料検討:1912年ストックホルム大会から1996年アトランタ大会までを対象に」『一橋スポーツ研究』第29巻、2010年、37-48頁、2021年3月3日閲覧 
  • 小石原美保「1920-30年代の少女向け雑誌における「スポーツ少女」の表象とジェンダー規範」『スポーツとジェンダー研究』第12号、日本スポーツとジェンダー学会、2014年。 NAID 130007054024 

関連項目

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