柳沢正信
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化2年(1805年) |
死没 | 不明 |
別名 | 助九郎、能登守、修理亮、豊後守(通称) |
官位 | 従五位下 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家慶、家定、家茂 |
氏族 | 柳沢氏 |
父母 | 柳沢主尹 |
柳沢 正信(やなぎさわ まさのぶ)は、江戸時代後期の旗本。通称は助九郎、のち能登守、修理亮、豊後守。官位は従五位下。
柳沢主尹の長男。正信が勤仕並寄合となった翌年の文久3年(1863年)に、実子で書院番の番士を務める柳沢鉞次郎(諱は不詳)が家督を継ぐが、鉞次郎は元治元年(1864年)に病気のため小普請入りし、以後再び役職に就くことなく大政奉還を迎えた。
年表
[編集]※日付は旧暦
- 文政3年(1820年)12月12日 - 小納戸となる。
- 文政9年(1826年)7月19日 - 小姓となる。
- 文政10年(1827年)12月13日 - 政之助(後の家祥、将軍・徳川家定)付き小姓となる。
- 天保元年(1830年) - 同小姓頭取介となる。
- 天保9年(1838年)7月5日 - 同小姓頭取となる。
- 嘉永4年(1851年)5月4日 - 家督を相続する。
- 嘉永4年(1851年)7月9日 - 西丸小納戸頭取となる。
- 嘉永6年(1853年)9月22日 - 家祥の本丸入りに付従い本丸小納戸頭取となる。
- 安政5年(1858年)10月6日 - 徳川慶福(後の将軍・徳川家茂)付き小納戸頭取となる。
- 安政6年(1859年)3月22日 - 西丸留守居となる。
- 文久2年(1862年)7月4日 - 御役御免。時服3枚を拝領する。勤仕並寄合となる。
参考文献・資料
[編集]- 小川恭一 編『寛政譜以降旗本家百科事典』 5巻、東洋書林、1998年5月1日。ISBN 978-4887213074。
- 黒板勝美 編『続徳川実紀』 第四篇、吉川弘文館〈国史大系〉、1999年10月1日。ISBN 978-4642003544。