板倉勝氐
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明8年3月6日(1788年4月11日) |
死没 | 文化2年12月8日(1806年1月27日) |
改名 | 輝之進、勝氐 |
戒名 | 永崇院殿南山源寿大居士 |
墓所 | 愛知県西尾市貝吹町の長圓寺 |
官位 | 従五下主水佑、織部正 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 備中庭瀬藩主 |
氏族 | 板倉氏 |
父母 | 父:板倉勝喜、母:不詳 |
兄弟 | 勝並、勝豊、勝氐、勝資、勝貞、阿部正信正室 |
子 | 養子:勝資 |
板倉 勝氐(いたくら かつもと)は、江戸時代後期の大名。備中国庭瀬藩の第6代藩主。官位は従五下・主水佑、織部正。重宣系板倉家7代。
略歴
[編集]第5代藩主・板倉勝喜の3男として誕生。幼名は輝之進。
兄の勝並と勝豊が病弱だったため世子となり、享和3年(1803年)11月7日に父の隠居により跡を継いだ。しかし、2年後の文化2年(1805年)12月8日に18歳で早世し、跡を弟の勝資が継いだ。法号は永崇院殿南山源寿大居士。墓所は愛知県西尾市貝吹町の長圓寺。