戸川正安
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長11年(1606年) |
死没 | 寛文9年5月22日(1669年6月20日) |
別名 | 市蔵(通称) |
官位 | 従五位下・土佐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光、家綱 |
藩 | 備中庭瀬藩主 |
氏族 | 戸川氏 |
父母 | 戸川達安、岡元忠娘 |
兄弟 |
平助、日置左門室、堀直景正室、 戸川又左衛門室、花房幸次正室、正安、 令安、安尤、安利、安吉、達躬、 村上三正室ら |
妻 | 寺沢広高娘 |
子 | 某(早世)、安宣、安成[1]、池田薫彰正室ら |
戸川 正安(とがわ まさやす)は、備中国庭瀬藩2代藩主。初代藩主戸川達安の次男。叔父の戸川正安(達安の弟)と同名となる。
生涯
[編集]寛永4年(1627年)末に父が死去したため、翌年2月に家督を継いだ。このとき、弟たちに所領を分与したため、所領は2万2500石となった。高野山大塔造営奉行や仙洞御所造営などに功を挙げた。寛文9年(1669年)に64歳で死去し、跡を次男の安宣が継いだ。
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ 次郎三郎。安宣から分知を受け旗本1千5百石。