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松田聖子のピンクのスニーカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松田聖子のピンクのスニーカー
ジャンル トーク番組
バラエティ番組
放送方式 収録
放送期間 1980年10月6日1983年4月1日
放送時間 月曜日金曜日 21:13 - 21:25
(1980年10月 - 1982年9月)
→ 月曜日〜金曜日 23:30 - 23:40
(1982年10月 - 1983年4月)
放送局 文化放送
制作 文化放送
ネットワーク NRN系列各局
パーソナリティ 松田聖子
提供 月星化成
学研(1981年10月から)
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松田聖子のピンクのスニーカー(まつだせいこのピンクのスニーカー)[注釈 1]は、1980年10月6日から1983年4月1日まで文化放送の制作でNRN系列各局にて放送されていたラジオ番組。メインパーソナリティ松田聖子

概要

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松田聖子にとって初めてとなる単独ラジオパーソナリティ番組[2][注釈 2]。文化放送では『吉田照美のてるてるワイド』の内包番組として放送され、1980年10月6日のてるてるワイドの放送開始と共にスタートした[3]。1981年1月の時点では、毎週1回局へ来て一週間分の収録を行っていた[2]

番組ではがきを読まれた人、電話の相手をした人には「SEIKO」の名前が入ったソックスが贈られた[2]

かかる曲は、懐かしめのオールディーズナンバーが多かった[4]

スポンサーは、最初は月星化成(現・ムーンスター)一社提供、1981年4月からは学研が加わって複数社提供になった[1]

主なコーナー

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聖子に伝言板
  • 月曜日(1981年1月当時)。リスナーからの聖子に関する質問に回答。私生活に関することや、ちょっとエッチな質問にも答えていた[2]
聖子にLOVEテレフォン
  • 水曜日(1981年1月当時)。選ばれたリスナーが直接聖子と電話でトーク。電話越しに自作の歌を歌ったり、「大好き」と“聖子愛”を打ち明けるのも良しとされていたという[2]
聖子とないしょ話
  • 木曜日(1981年1月当時)。女子リスナー優先のコーナーで、ボーイフレンドのことを綴ったはがきに対し、感想を述べたり、アドバイスをしたりしていた[2]

放送時間

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文化放送での放送時間

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ネット局

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特記の有るもの以外はいずれも月曜日〜金曜日の放送。

  • STVラジオ 21:40 - 21:50 (1982年10月 - 1983年4月)
  • 青森放送 21:15 - 21:25 (1982年10月 - 1983年4月)
  • 秋田放送 21:20 - 21:30 (1981年10月 - 1982年3月)/ 21:40 - 21:50 (1982年10月 - 1983年4月)
  • 山形放送 21:40 - 21:50 (1981年10月 - 1982年3月)
  • 北日本放送 21:20 - 21:30 (1981年10月 - 1982年3月)/ 21:40 - 21:50 (1982年10月 - 1983年4月)
  • 北陸放送 21:40 - 21:50 (1982年10月 - 1983年4月)
  • ラジオ大阪 21:45 - 21:55 (1981年10月から。『OBCヤングラジオ』内で放送)
  • 四国放送 21:20 - 21:30 (1981年10月 - 1982年3月)/ 21:40 - 21:50 (1982年10月 - 1983年4月)
  • 西日本放送 21:20 - 21:30 (1982年10月 - 1983年4月)
  • 南海放送 21:40 - 21:50 (1982年10月 - 1983年4月)
  • 九州朝日放送 22:10 - 22:20
  • 長崎放送 21:25 - 21:35 (1981年10月 - 1982年3月)→ 21:50 - 22:00 (1982年4月 - 1982年9月、火曜〜土曜)→ 21:45 - 21:55 (1982年10月 - 1983年4月)
    • 同局は日清紡の一社提供に差し替えられて放送されていた。
  • 熊本放送 21:40 - 21:50 (1980年10月 - 1981年3月)/ 21:50 - 22:20 (1981年10月 - 1982年3月)→ 23:10 - 23:20 (1982年4月 - 1983年4月)
  • 宮崎放送 23:40 - 23:50 (1982年10月 - 1983年4月)
  • 南日本放送 21:20 - 21:30 (1981年10月 - 1982年3月)/ 21:40 - 21:50 (1982年10月 - 1983年4月)

[5]

脚注

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注釈

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  1. ^ ラジオ新番組速報版 1981年春号〜1982年秋号掲載の文化放送番組表、及び【文化放送番組表】1980~84年における本番組のタイトル表記による[1]
  2. ^ 本番組開始に先立つこと9か月前1980年1月から、ニッポン放送で『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』のレギュラーパーソナリティを務めていた(1980年12月まで)が、3人共演によるものだった。聖子のニッポン放送における初の単独パーソナリティ番組『松田聖子 夢で逢えたら』がスタートしたのは、本番組開始に後れること6か月後の1981年4月から。

出典

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  1. ^ a b c d 【文化放送番組表】1980~84年 - ウェイバックマシン(2021年9月18日アーカイブ分)
  2. ^ a b c d e f 明星 1981年2月号「MYOJO PAPER RADIO」p.205
  3. ^ 1980年10月6日付 朝日新聞朝刊ラジオ欄
  4. ^ ラジオマガジン 1981年1月号 p.50 本番組の記事
  5. ^ a b c ラジオ新番組速報版 1981年春号〜1982年秋号掲載の文化放送番組表、及びネット各局の番組表
文化放送 月曜日〜金曜日 21:13 - 21:25 枠
前番組 番組名 次番組
21:00 - 22:00枠
ニッスイセイルオンミュージック
音楽人間世界を行く(月曜)
セイコー・ジョイントライブ
〜今ふれあいの時〜(火曜)
さだまさし全力投球(水曜)
南こうせつ
こちら地球村放送局(木曜)
小林克也 SUPER
RADIO SHOW(金曜)
松田聖子のピンクのスニーカー
(1980年10月 - 1982年9月)
文化放送 月曜日〜金曜日 23:30 - 23:40 枠
マッチとデート
松田聖子のピンクのスニーカー
(1982年10月 - 1983年4月)
ジャンピングジャニー少年隊